”こちら側”?”あちら側”?
前回のnoteでも述べたとおり、近頃テラスハウスにはまっている。
その中で、一点驚いたシーンがあった。本筋にはあまり関係ないので、ネタバレにはならないし、見ていない方でも理解できる内容だと思います。
問題のシーンは6話の中盤。6人のメンバーが、OAされたテラスハウスの1話をみんなで見ていたのだ。
まじ???
衝撃じゃないですか??というのを友達に話したら、「ん?そう?そうかなぁ」みたいな反応をされた。衝撃じゃないのか・・・
個人的にはすごくびっくりした。その理由を書いていきますね。
テラスハウスは台本通りに進むドラマではなく、6人の生活を隠し撮りした番組である。つまり6人は「ただ生活をしているだけ」と思っていたはず。
なのに、ある日「あなたたちの日々は撮影されていました、それを全国の人が見てます。」という現実を突きつけられるわけだ。(まぁ実際には分かっていたことなのだとは思うが。)
しかし、気味が悪く思わないのだろうか・・・?「お前たちは見世物だ。」と見せつけられ、自分たちの生活をYOUさんや山ちゃんが口出ししているのを目の当たりにして、本当に平気でいられるのか・・・?自分には無理だ。なんとも思わないというのなら、6人はやはり「あくまで自分たちは演者だ」ということを理解しながら生活をしているのかな。こんな形でテラスハウスのやらせについて疑うことになるとは思わなかった。
第四の壁というのをご存じだろうか。実際に存在する物ではなく、演劇等においては観客席と舞台の間に概念上存在する、透明の壁のことである。要するに、現実と物語の世界の境界のようなものだ。”こちら側”と”あちら側”を隔てる壁、のようなイメージでかまわない。
ほとんどの創作物では、”あちら側”のキャラクターは自分がキャラクターであることを認識していない。デッドプールのような、第四の壁を破壊できるキャラクターもいるにはいるが、そういった例外を除けば、彼らは自分たちが誰かに見られているとは思わずに、ましてや台本など存在せず、自分の意思で行動しているのである。作者なんて人間は彼らの世界には存在しない。
つまりなにが言いたいかというと、第四の壁の”こちら側”と”あちら側”は完全に区切られた世界なのである。次元が違う、と言う方がわかりやすいかもしれない。特に、”あちら側”の人間は”こちら側”を認識することすらできないのである。
話をテラスハウスに戻すと、私が言っているシーンの気味の悪さにも少し説明がつく。彼らはそれまでは6人で普通に生活を”こちら側”でしていた。ところがある日テレビを付けると、”あちら側”に自分たちがいるのだ。すると、今”あちら側”を”こちら側”から見ていると思っているが、実は今いるこの世界も”あちら側”でしかないということになる。今いるのは”こちら側”?”あちら側”?
これがただのドラマであれば私はこんな奇妙なことを考えることはなかった。出演者とキャラクターは別人格なので、出演者自身も”あちら側”と”こちら側”の見分けが付く。金八先生のときは”あちら側”で、武田鉄矢のときは”こちら側”だ。たまに本人役でドラマに出る方がいるが、”あちら側”の撮影の途中に、これが現実か撮影か分からなくなることはありえないだろう。
だがこの番組はドラマではない。あくまで、日常生活の切り抜きである。(としている。)そうなると、彼らは自分がキャラクターではないのに”あちら側”にいることになる。自分の意思で動いているのに、「あなたたちは”あちら側”で恋愛ショーをしているキャラクターだ」と突きつけられる。しかもそれを自分たちで見ることによって知らされるのだ。
ただ一言、「この番組は恋愛ドラマです。」と言ってくれれば私は安心できる。だがその一言が聞けるまでは、自分がテレビの中にいるのか外にいるのかもわからずに過ごし、それを無数のカメラで撮られ、多くの人間に見られ、批評されている彼らのことを、私は気の毒に思い続けるのだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?