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デジタルタイムカプセル
過去にはFacebookやラジオの投稿としても書いたエピソードですが、今回はnoteにも書き記そうかと思います。
ある日、ちょっと入り用で、押入れから古いWindowsを引っ張り出しました。
それは父が生前に「パソコンを覚えたい」と言い出したときに、それならば使っていないものが1台あるよと貸したWindowsでした。その頃から型落ちで古かったけれど「練習用だから」と言って喜んでいたのを覚えています。
以前に脳梗塞を患い、以来、後遺症が残り、晩年は寝たきりに近い状態だった父。それでも新しいことには貪欲だったから、パソコンはいい刺激になると思い貸し出しました。
でも残念なことに、覚えきることなく父は亡くなります。そして遺品の整理のときに、その型落ちのWindowsはまた自分の元に帰ってきていました。
久しぶりに起動すると表示されるログイン画面。そこには父の名前がありました。入ってみると、閑散としていたデスクトップにポツンと残されたテキストファイルがひとつ。タイトルは「歌110102」。開いてみて、まず冒頭にあったのは、
「とおがねのよいnいnんあnが」
という一文。まるで暗号のようですが、次の瞬間には腑に落ちました。そうかそうか。ローマ字入力で「ん」の打ち方を教えていなかった。
なんだか微笑ましい気分で下にスクロールしていくと、今度はしっかりと打ち損じのない一文がありました。
君と来し 桂のほとりせせらぎを
夜半の枕に寂しくぞ聞く
そういえば、母からこんなことを聞いたことがあります。父と母にはその昔、会いたくても会えない“距離”があったそうです。そのときに送られた手紙に書かれた一首が母は忘れられないと回顧していました。
お世辞にも記憶力がいいとは言えない母だから、私は冗談めかして「ウソだね」と笑顔でカマをかけました。しかし、予想を覆すように母は淀みなくその一首を諳んじ、驚いたことがあります。
おそらくは50年以上も昔の話です。それなのに、あまりに淀みなく歌い上げたものだから、私自身もその驚きから諳んじることはできずとも、聞けば頭の中の引き出しがスルスル開くほどに覚えてしまった一首です。そのときの一首こそが、まさに父が覚束ないパソコンで打ち込んだ、この短歌だったのです。
見た瞬間、まったく心が無防備でした。何気なく開いた古いパソコン。そこに残されていた、いまは亡き父が言葉を紡いだ短歌。デジタルデータであるものの、肉筆にも勝るとも劣らない響きがあることに、私は衝撃を受けました。
そして唯一打ち損じがなかったのは、この一首だけ。これを打ち込むのに、もしかしたら1時間以上を費やしたかもしれない。短気だからきっとイライラもしただろう。さらに、そこまで一首懸命に打ち込んだ一文が、母と心繋がる短歌だったことには込み上げるものがありました。
父が亡くなったのは9年前。もはや悲しみはありません。でも寂しさはある。そんな中で、ふいに父と会えたような気がして、サプライズのようなうれしい気持ちになりました。
この話を書いている最中も、母との思い出を暴露したら悪いかな? いや、よくぞ世に出してくれたとか言って喜びそうだな、と、あれこれ考えていたりすると、それはハタから見れば自問自答ではあるけれど、自分にとっては父との会話のようでなりません。
でもそろそろおしゃべりはここまでにしておこうかと思います。「男のおしゃべりは」なんて説教が飛んできそうな気もするから。
はたして、今度はいつ、ふいに会いに来てくれるでしょうか。楽しみです。
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