時々「好き」はなくなってもいい。
時々、「何が好きか」「どういうことが物が好きか」わからなくなる時がありませんか
私はある。しかも割と頻繁に。
好きだと思っていたことや物、人、好きだと感じていたことが全て、「本当に好きなのかな?」と疑問になる夜や、日は割とコンスタントに、とはいえ突然現れる。
例えば、私は今記事を書く仕事をありがたいことにメインでやらせてもらっているけれど、果たして私は「書くことが好き」なのかな、とか。
雑誌が大好きで毎月買っているけど、それは本当に「雑誌やその情報が好き」なのかな、「毎月買わなきゃ」みたいな意識なんじゃないのかな、とか。
「好き」は「義務」になってしまうときがある
好きなんだからこうだよね、好きならこうすべきだよね、なんて、もちろん誰も言わないと思うけれど、「好きなはずなのにどうして!」となることがある。
「好きだけど、ライブには行きたくない」
「好きなのに、癒されない」
「好きなはずなのにできない」
「好きなのに会いたくない」
好きだから上手くなったとか、好きだからずっとやっていられるとか、理屈はわかるのに、自分にその「好き」のレベルがないことを、悪いことだと思ってしまう時がある。
そういう時って、「好き」だったはずのことが「義務」になってしまうことも結構あって、
「雑誌買わなきゃ」も「文章書かなきゃ」もいつの間にか”好き”から”義務”にすり替わってしまっているなと感じてしまう。
別に悪いことではないかもしれないけれど、わたしにとって、それはすごく残念で、悲しくて、自分を責め立てる材料になると思っている。
「好き」って定期的になくなっていい
好きなことを仕事としていながら、身もふたもない話だけれど、本気でそう思ってる。
好き と 嫌い は表裏一体、紙一重、だと思うので、「好き」なことが「嫌い」になる瞬間は、どれくらいあってもいいし、「好きだけど今はやりたくない・聞きたくない」があって当たり前。
そうなった後の方が「やっぱり好きなんだなあ」と、何と無く思う日や瞬間がくるし、そういうときに「好き」を実感するのだと思う。
ま、好きなこと仕事にしているから、やらなきゃ、お金にならないのは、ちょっと痛いけど、ね?