「違う」ことがその人にとっては「普通」だということを忘れないでほしい。
当たり前のことを言うようだけれど、忘れないで欲しいと思っている。
完全に個人的な話にはなるけれど。
昨日まで私は、自分の左耳があまりよく聞こえないことを「違い」だとは思わなかった。
そのよく聞こえない世界は、私にとって普通だったし、周りの友人にとっても
そんなに重要なことではなかったと思う。
知らない友人も、まだまだいるし、知ったとしても
「そうなんだ」くらいで今までは済んできた。
昨日、とある友人を通して会った人が言った、
「え?左耳聞こえないの?」
「なにそれやばくない?」を聞くまでは。
なにがやばいのか。単純に事実としてあるだけなのに。
その時は、悲しいとも悔しいとも思わなかったし、多分彼も別に悪意があったわけじゃないことくらいわかっているし、今までにもそんな反応をされたことは多々ある。
ただ、そんなことを言われるのかと愕然とした。
1日経った今日、無性に腹が立ったし、悲しく悔しく、やるせなかった。
今までもたくさん様々なことは言われてきた。
突発性なので、誰のせいでもないし、何のせいでもない、日常生活に支障はないし、
何よりも今まで気にしてこなかったのだから、今更なげくようなことでもない。
文章にできるほど、冷静なのに、とても悲しくて悔しくてやるせなかった。
そして改めて思った。
何かが違っても、それがその人にとっては普通の世界だと忘れないで欲しい。 と。
極端かもしれないけれど、手話や電動人工声帯も、色覚が違うのも
耳が聞こえないのも点字なのも、その人たちにとっては「普通」の世界だと言うことを。
そもそも「普通」が何なのか、と言うことも。
こんな拙い文章だけれど、私が、私の感じたこの悔しさを忘れないためにも書いておきたい。
自分が、自分の存在が否定されたのでは、と一瞬でも不安になったこの気持ちを
誰かに味あわせることのないようにしたい。