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石清水八幡宮周辺「御園神社」味師内宿禰は武内宿禰の弟「内神社」【京都八幡シリーズ】

石清水八幡宮周辺にあるマイナー神社だが、その中身は面白いものがある。

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2024/01/12 初版


▼HP▼アクセス▼祭神・本尊と脇時

 ※後述「▼見どころ」参照

▼見どころ

▽内神社:京都府八幡市内里内1

 平安時代に定められた『延喜式神名帳』に「内神社二坐」と記される式内社。古伝によると、山代内臣をその住居の地に奉祀したのが創建で、相殿の「味師内宿禰」は、山代内臣の祖神であることから、後に合祀されたと伝えられている。

味師内宿禰
 父は孝元天皇の皇子・比古布都押之命で、母は葛城之高千那毘売。山代内臣の祖神であり、応神天皇に仕えた武内宿禰の異母兄弟。武勇に優れた兄・武内宿禰に対し、美男で温和な性格の神であったと伝えられ、『日本書紀』では、神代の裁判である「探湯」を初めて行った神として知られている。

 祭神は「山代内臣(ヤマシロウチノオオカミ)」と「味師内宿禰 (ウマシウチノスクネ)」です。

 本殿左に「内神社の宮殿」があった。2001年から2002年に「内里区造営事業」として、現在の本殿及び境内が整備された際、1743年の墨書が発見されたよう。というので、壊したらアカン!!保管や~としたのだろうか。

 石清水八幡宮の遥拝所「男山八幡宮 遙拝所」がある。祭神は兄・タケノウチノスクネを見ているのか??

 摂社・末社として厳島神社、奇神社、稲荷神社が鎮座している。
 池の真ん中にある島に鎮座すると言えば「嚴島神社」で、祭神は宗像三女神の1柱であるイチキシマでしょう。

 対面には、祭神はスクナヒコとなっている「奇神社」。

 また、『神社明細帳』によると、室町時代に起こった大永の乱により社殿が頽廃したため、天正年中に今の地に遷座されたと記されている。

 旧社地は現在もなお「古宮」と呼ばれ、本社より南東の方角約500メートルの所に禁足地として現存し、現在の本殿及び境内は、平成13年10月から14年9月まで内里区造営事業として整備完成されたもの。

▽御園神社:京都府八幡市上奈良御園9

787年、桓武天皇の時代に社を建立し、奈良の春日大社から三神を移座したと伝えられる式内社。毎年10月第2日曜日に上奈良御園神社例祭にあわせて、五穀豊穣を祈願し、ずいきの他30種類以上の野菜でみこしを飾り、練り歩く。ずいきみこしは京都府の無形文化財に登録されている。

 桓武天皇が798年、河内国交野(現・交野市)に行幸された帰り道、この地で狩りをしていた時に神託を受けて、ここに神社を建立したそうです。

  • 787年、桓武天皇が河内国交野へ行幸の途中、この里に立ち寄り鷹狩りを行った

  • その時、神託を蒙って、藤原継縄に命じて社を建立させ、奈良春日社から三神を勧請

  • 南北朝の合戦や応仁の乱によって炎上

  • 1494年、新殿を造営

  • 『和名累聚抄』に、「奈良の御園として、瓜・茄子、蘿蔔(らふた=ダイコン)を進ず」とあり、朝廷に献上する野菜を栽培するところであったよう

  • 1399年、足利義満が応永の乱の戦勝を祈願して「上奈良郷」を北野社に寄進(『北野社家日記』より)

  • 以来、戦国期まで北野社の支配下になる

  • 野菜の献上は途絶えているが、例祭「御園の青山祭」に残っている

▼旅行記▼セットで行くところ

石清水八幡宮周辺ブラリ!真如寺&等持院◆◆京都八幡②大阪キタ⑤京都上京⑧右京⑮|やんまあ@宿・食 (note.com)

▼仏像展


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