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度を越した慈善は自分を害する【升米恩,斗米仇】

『三字経』(古代中国で子供に字を教えるために村塾で使用された代表的なテキスト)の冒頭には次のようにあります。

人之初,性本善。
人は始め、その性質が善である。

マーク・トウェイン(1835 - 1910年。アメリカ合衆国の作家)は「善良さは世界共通の言語である。それは目の見えない人に感じさせることができるし、耳の聞こえない人にも聞かせることができる」と述べています。

心が善であるのはすばらしいことで、他人に善くするのも正しいことです。善心と善行は当然肯定すべきものです。しかし、善良がもし度を越すと、往々にして自分に不要な傷害をもたらし、かえって善行の本来の意図からそれてしまいます。われわれは、以下のことを忘れないようにしなければなりません。

どんな人でも、あなたの善い振る舞いに値するわけではない。どんな物事でも、あなたが譲歩するに値するわけではない。

度を越した善良さは自分を傷つける
ある善人が毎日自分の家の門の外にいる乞食に十元を渡していました。相手から感謝の言葉はありませんでしたが、善人は黙々と二年間お金を渡し続けました。

後に善人は結婚し、出費がかさむようになり、そのため乞食には五元のみを毎日渡すようになりました。この時、乞食は次のように言いました。「以前は十元をくれていたのに、どうして五元しかくれなくなったのかい」。善人はこのように答えました。「私は結婚したのです」。乞食はそれを聞くと善人に平手打ちを食らわし、怒鳴って言いました。「お前は私のお金で女を養おうというのか」。

このエピソードは冗談ですが、しかしそうとも言い切れないところもあります。現実生活の中では、他人の善良さに背き、さらに他人の手助けを当たり前のこととみなして感激しないのみならず、かえって相手から脅し取ろうとする人は少なくありません。

中国の人気司会者・孟非(モン・フェイ)はちょうど次のように語っています。

ある人があなたに手助けを頼んで、あなたに100%の手助けを期待していた。しかし結果はあなたが70%の手助けをしただけだった。その場合、相手はあなたを友だちがいのない人と考えて感謝しないだけでなく、逆にあなたが彼に三分の借りがあると思うようになる。世の中にある多くの恩と恨みはこうしたことから生まれている。

農民出身の歌手・朱之文は有名になった後、あまり親しくはなかったたくさんの「親戚」たちにまとわりつかれ、それぞれからお金を借してくれと頼まれました。彼は九年間に百万元余りを貸したため、その家には借用書だらけの引き出しもあります。しかし、貸した百万元のうち、後に返ってきたのはわずか二万元だけでした。

朱之文はお金を借りた人のもとを訪れて借金を返すように求めましたが、彼らはお金を返そうとしなかったばかりか、彼に罵詈雑言をあびせました。朱之文は村民たちにたくさんのお金を貸し、さらに黙って村の道路も補修してあげていたのですが、彼の評判はますますひどくなり、村民たちから「恩知らず」呼ばわりされるようになってしまいました。

古いことわざにこのようにあります

升米恩,斗米仇。
米一升の(援助の)ときは恩になり、米一斗のときは仇になる。
(相手が困っているときにはあなたの助けがわずかでも、相手は感激する。しかし、あなたが与えすぎると相手はそれに依存するようになり、あなたが援助を止めたときにその恨みを買う)

あなたがもしありったけ援助してしまうような善人ならば、相手はやりたい放題になるでしょう。善良さが度を越せば、傷つくのは自分自身になるのです。

【出典】
作者:丫丫
来源:十点读书(ID:duhaoshu)
「善良有尺,忍让有度」
https://www.sohu.com/a/425361130_99925605

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