「JAPAN」でなく「NIPPON」 だった訳は
”日本人選手が初めて出場した1912年のストックホルム五輪。入場式でのプラカードの表記は「JAPAN」ではなく「NIPPON」だった”
ー4月3日付東京新聞1面コラム「筆洗」より
”一説によると、日本マラソンの父で同五輪出場選手だった金栗四三が漢字で日本と書くべきだと主張。それでは誰も分からないと反対論が出て、間を取ってローマ字の「NIPPON」に落ち着いたと伝わる”
外務省は3月31日、ウクライナの首都キエフの政府としての表記をウクライナ語の発音に近い「キーウ」に変更すると発表した。ウクライナ政府の意向も踏まえた決定だという。記事は「キーウ」への呼称変更に絡め、以下のように続く。
”金栗の言い分も分からぬではない。なぜ自分たちの言葉ではなく英語にするのか”
”おそらくウクライナ政府の要望はそれとは比べものにならぬほど切実だったはずだ”
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