私たちはマイノリティか、マジョリティか -Part2-
ロートこどもみらい財団様のご支援で、2022年10月1日、かるたイベントを開催しました。当日、財団は設立1周年を迎えました。そんな特別な日に、メロー(財団に登録している子どもたち)と交流させていただき、本当に嬉しく、今更ですが、責任重大だったことに恐ろしくなりました。(Part1のnoteも是非お読みください)
誰もがマイノリティにもマジョリティにもなり得る
これまでにも何度か書いてきましたが、私の兄は障害があり、日本の公教育の中で学ぶことに困難がありました。結局、日本の高校に進学することはできませんでした。日本社会で、少数派に属する人です。ベトナムやミャンマーで高校進学した後は、障害が原因で学びの機会を奪われることはありませんでしたが、今度は外国人としてマイノリティだと感じることになりました。障害がなくても、異国で生活しなくても、学校に同じ関心を持つ友達がいないとか、苦手なことがあるとか、少数派だと感じる瞬間は誰にでもあります。でも日本国籍をもち日本で暮らす日本人であることは、絶対的なマジョリティであり特権だと、意識したことはあるでしょうか。今回の企画は、わたしたちにとって新たなチャレンジでもありました。
あなたの国はどこですか
カディザ・べゴムさんのお話はこの一言から始まりました。
私たちは、当たり前に「日本人です」と答えることができます。
でも世界には国籍を持たない人、祖国に帰ることができない人がいます。
人権侵害や迫害を受け、命を守るためにたどり着いた日本でも、必要最低限の生活の保障がないままに、不安を抱えて暮らす人。そして日本語が話せないことで、コミュニティの中に入れない、医療が受けられない人もいます。
言語の壁は、親子関係にも及びます。日本で生まれ、日本語を習得した我が子と、コミュニケーションがとれない親子もいます。
カディザさんは彼らを支援するために様々な活動をされています。そして、彼らを支援するためにも、学びを続けていると話してくれました。
かディザさんの「宗教、文化、言語、顔、肌の色が違っていても、仲間でいられる学校や社会を築くために、私たちは努力しなくてはならない」という言葉を、子どもたちも真剣な表情で聞いていました。
当事者でない人が理解したとき、社会は動く
世界にも日本にも、社会課題は数多くあります。声なき声に耳を傾けること、自分に無関係なことのために行動することは、とても難しいことです。ロヒンギャ族、ミャンマー人(ミャンマーにも135の民族がいると言われています)、日本人という違いがあっても、人種による差別があってはならないと強く思いました。
障害も、難民問題も、当事者が語ることは何より大事です。でもそれ以外の大多数派の人々がそれを理解したとき社会は動く。
だから、彼らの人権を守るために、目の前の人、に命のストーリーを伝える活動を続けていきたいと思います。
カディザ・ベゴムさんについての記事です。ぜひお読みください。
カディザさんと、写真家の新畑克也さんが出演されたListen to the Voiseless by Fuki について、メンバーがブログを書きました。