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“制作する側”への憧れを捨てきれなかった話

向いていることと、やりたいことが必ずしも一致するわけじゃない。そのことを自分は、これまでの人生で何度も実感してきた。

幼少期から、何かを生み出すことが好きだった。オリジナルキャラクターを考えたり、服のデザインを描いたり、手作りの雑誌を作って、妹に「販売」したりと、楽しんでいた。でも、その延長線上で生きることはできなかった。

ファッションへの憧れから、大学ではファッション造形科を目指したが、一般受験は無理だったのでAO入試に挑戦した。試験の内容は小論文かデッサンで、勉強したことがなかったが、直感でデッサンを選んだ。しかし、結果は不合格。そこで、デザインの道を諦めることにした。

別の大学に合格したが、進学はせず、現場でファッションを学ぶ決断をした。某ブランドでの販売職を経て、1年後にはビジュアルマーチャンダイザー(VMD)として店内のレイアウトやディスプレイを担当するようになった。自分には、ゼロから何かを作り出すよりも、既存のものをより魅力的に見せる方が向いていると感じた。

「自分は0→1の人間ではなく、1→10の人間なんだ」と確信し、その考えを持ちながら仕事に取り組んだ。

その後、沖縄の座間味島での生活が始まった。初めての飲食店での仕事は、苦手な分野に挑戦する機会だった。接客では評価されたものの、自分では向いていないと感じていた。スピードが求められる中で、効率的な動きができず、苦手意識は拭えなかった。

座間味島生活を送る中で、次第に「WEBデザイナーになりたい」という思いが芽生えた。「やっぱりデザイナーとして何かを作り出したい」と感じ、地元名古屋に戻り、職業訓練校に通った。だが、就職活動は難航し、挫折を味わった。

「やっぱり自分は0→1ができる人間じゃない」と再認識し、1→10にできるWEBマーケティングの道へシフトチェンジしたところ、第一志望の会社に即内定。その後、SNS運用やECサイト運営に携わり、充実した1年間を過ごした。

その後、憧れていたSNSマーケティング会社の最終選考に進むも不採用に。再び、目の前が真っ暗になった。

そんなとき、ふと思い出した。「そういえば、昔から言葉にするのが好きだったな」と。生み出すことを諦められなかった自分は、今度は「言葉を生み出す」ことに賭けてみたいと思ったのだ。

得意かどうかはわからない。でも、いつか「言葉を生み出すこと」でご飯が食べられるようになれたらいいな。それが今の自分の夢だ。

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