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パンクという部族
前書き〜パンクの横の繋がりって独特の世界なんです
これまでのバンド活動で経済的サクセスを手にしたことはありません。
いわば「趣味以上、職業以下」
なぜ
そんな私がバンドで世界中をツアーできたのか、
世界各国からバンドを招聘できるのか。
音楽を産業としてとらえる限り、
この交流は謎でしかないと思います。
来週2月7日金曜日から始まる
フィンランドの
Juggling Jugulars というバンドのジャパンツアー実現への過程を記録することで、
このパンクという部族の独特の世界観の説明になるかもしれない。
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ここで描写できるのは
パンクの持つほんの一つの側面です。
パンクは長い歴史の中で
その裾野が広がり続けている。
誰かのパンクも私のパンクも違って当然。
『これがパンクだ』
という物言いはできません。
ポーランドのグディニアという街
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Juggling Jugularsのライブを見たのは、
2010年の夏のDIY PUNK Fesだった。
ある不運がきっかけで
Juggling Jugularsのメンバーとも話す機会を得たんだ。
そのきっかけがなかったら、
一緒にオムニバスアルバムを出すことも、
今回のジャパンツアーもなかったかもしれない。
完全なる不運なんて人生にないのかもね。
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会場はポーランドのグディニア。
海に臨む石造りの街並みは旧東欧共産圏の名残が随所に。
近隣国からバカンスに訪れる人も多いことから開放感も同居していた。
どっちにしろ
パンクだのエクストリームミュージックの連中には不釣り合いな街なのだ、笑
表層的にはね。
グディニア(グダンスク)は
ポーランドの民主化闘争の起点、中心的な土地という歴史がある。
その蜂起が波及しその後の東欧「革命」「連帯」ムーブメントの一丁目一番地となった土地である。
パンク的と言えばパンク的な土地とも言える。
グディニアのDIY HARDCORE PUNK FES
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アジア人ってだけでフェス会場では目立つわけですよ。
当時の私は少し気のふれた格好をしていたから余計に。
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その上、
スペインとかドイツの友達ともそこで再会したりするもんだから
呑めや、吸えや、
で手厚い歓待、イジられまくるのです。
初日は轟沈。
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Juggling Jugularsの出演は2日目だった。
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私は自分を律した。
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ユーロメロディックアナーコパンクの洗礼
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この日の
Juggling JugularsはボーカルのArajaを欠いていた。
体調不良だったらしい。
二人のギタリストが交互にボーカルをとるイレギュラーなステージだったはずだが、
楽曲の良さ、表現力、情熱が存分に伝わるステージだった。
EL ZINE(issue 69/2024.12)のインタビューでも書いたけど、
Juggling Jugularsn90年代はこのスタイルだったんだけどね。
どうりで説得力があると思ったわ、笑
DOOM(UK)の後に出演っていう、その対比もまた面白かった。
DOOMもすごい良かったんだよ。
Juggling Jugularsのステージは
『速さ、重さ、視覚的な激しさ』
ではない部分でのパンクとしての訴求力があった。
これがユーロメロディックアナーコパンクか!
これだ!って舞い上がった。
私はこの年の春に
ガキの頃からそこそこ長いこと活動してきたバンドを解散したばかりだった。
10代の思春期の人格形成期の時間をほぼほぼココに費やしてきた。
ここでの経験で
人生が狂ったようでもあり、正気になれたようでもある。
その活動を自ら止めた。
この先どうするか?
アイデンティティみたいなヤツが揺らいでいた時期だった。
そんな私にはこのライブは衝撃的だった。
筆者が初めて組んだバンドDSB。その後の人生の指針はここでの経験から。
ここでの経験がなかったら現在のように大三島への移住という考えもなかったかもしれない。
大袈裟かな、笑
その後に出演したEL BANDAで
完全にユーロメロディックパンクの洗礼のダメ押し、
その渦に幸せに轟沈。
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イベント主催者の自宅に泊まる
夢見心地とひそやかな決意でポーランドを後にする。
もう降りようかと思ったこの道で新たな道標を見た思いだ。
フェス主催者のマレックとマグダのカップルが空港まで見送ってくれた。
渡航前に、
フェスのチケット入手方法だとか宿泊施設だのを
私は彼らと直接メールのやり取りをしていた。
無論、それまでに面識などなかった。
「こんなデカいパンクフェスを毎年オーガナイズしてるって、どんなイカついヤツなんだろう?」
なんて想像しながら。
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フェスに行ってみると、
「宿泊施設は騒がしいからウチに来なよ」
と言って
マレックは歩行も覚束ない
泥酔の正体不明のアジア人の私を自宅に泊めてくれた。
こんなことってある?
でもこのパンクという部族間では普通だったりするんです。
本当に親切な人。
本当に吐かなくてよかった。
翌年だったかな、
彼らが日本に来たときは旧交をあたためた。
自分のバンドVESPERAを見せるタイミングがなかったんだけどさ、
いつか何処かで、って思いはまだ持ってる。
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終電逃した、くらいの気やすさでロンドンのRatosに電話して押しかけた。
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Juggling Jugularsとの邂逅
グディニアからワルシャワ、さらにハンブルグ、
そして成田へ。
3便乗り継ぎ。
それぞれ個別で手配したから
乗り継ぎに保証も補償もないのです。
見事にワルシャワでハンブルグ行きの飛行機に乗り損ねた。
ハンブルグ行きの搭乗ゲートにダッシュしてる最中に、
空港のバーで寛いでいるJuggling Jugularsを見つけたんだ。
_SHOW良かったぜ!
くらいのことを連中に投げつけた。
本当はもっと話したかった。
そして搭乗ゲートへ走った。
搭乗ゲートへ着いてみると
定刻通りに飛行機は発った後だった。
飛行機の遅延を期待したんだけどね。
私は途方に暮れる、、、
かと思いきや、
踵を返し、
迷いもなく
Juggling Jugularsの酒宴に加わった、笑
へへ、飛行機逃しちった。
とか軽口を言いながら。
これがJuggling Jugularsと私の最初の乾杯。
ストーリーのはじまり。
あの時のあいつか!ってだけではじまる。
あの時、
「東京に帰る飛行機に乗り遅れたマヌケなやつ」
そのマヌケが
2017年、
フィンランドの Juggling Jugulars
ポーランドのMORUS,
イタリアのKALASHINIKOVと
日本のVESPERA(筆者のバンド)の4バンドで
『VYVES』というオムニバスを企画した。
リリースは日本のTOO CIRCLE RECORDS
私からの一方的なラブコール、
ユーロメロディックアナーコパンクの日本的解釈をしているバンドがいることを知って欲しかった。
内容的にはとても素晴らしいと自負している。
幸か不幸か
私がいまだに音楽活動を続けているモチベとなっている。
ただ地味すぎてセールス的にはどうだったんだろう。
リリースを引き受けてくれたTOO CIRCLE代表前田君には感謝しかない。
ジャパンツアー2025
2020年からの数年、
流行病コロ助の時期
世界中で人の往来が止んだ。
「 Juggling Jugularsとの対バン」
ずっと燻っていた想い。
2023年にもう一度灯りを焚き付けた。
はじめてJuggling Jugularsのライブを見てから
もう13年が経っていた。
コロ助の出口が見えた頃、
Juggling Jugularsと連絡を取り合い、
2024年のJuggling Jugularsのジャパンツアーを打診した。
競作したオムニバスのリリースから7年。
行ったこともない国である日本、
そんな遠い国でのツアー。
あの主催者を信頼してもいいのか?
普通に考えて絵空事だよね。
私の話にのってくるだろうか?
そこにあるのはパンクという部族の共同幻想だけ。
Juggling Jugularsはツアーコストの全てを回収できるだろうか、
主催者の私も私のバンドVESPERAも無償奉仕、
各地の主催者も金銭的な潤いなんて度外視。
それでも
多くの協力を取り付けることができた。
『金にもならない、金では買えないこと』への憧憬
パンクという部族の共生。
このパンクという部族はロマンチストなんだろうな。
吐き気がするほど。
いよいよ
ツアー開始まで1週間を切った。
私は100%自分のためにこのツアーを組んだ。
シーンのために、誰かのためにという美談はないんですよ、笑
それでも、
波紋のように
このツアーが誰かの何かの始まりになってくれたらいいと思う。
私も石(意志)を投げた甲斐があるってものです。
ありがとう。
2025年 2月1日記す
EIJI
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2月7日 金曜日 西横浜EL PUENTE
2月8日 土曜日 大阪club STOMP
2月9日 日曜日 広島CONQUEST
2月11日 火曜日 早稲田ZONE B
2月13日 木曜日 西荻窪Pitbar
2月14日 金曜日 新大久保EARTHDOM
2月15日 土曜日 岡崎PICHU
2月16日 日曜日 名古屋HUCK FINN
Juggling Jugulars Bandcamp
https://jugglingjugulars.bandcamp.com/album/thirst-for-hope-2024
VESPERA Bandcamp
https://vesperadical.bandcamp.com