ワクチン接種

何度も電話したがいつまでも予約が取れず、しかしどうにか予約が取れ、そしてワクチン接種の日になった。車に乗り込んだ。それから自分の便意に気づいたが、予約の時間が近づいていたので、発進した。

会場に着いた。トイレに行く時間はなさそうだった。受付に問診票を差し出すと、受付のひとはパソコンを触って、「あなたの予約は入っていません」と言った。私は脇によけた。携帯で予約を確かめると、会場を間違えていたことが解った。北の会場に来てしまったが、南のほうだったらしい。

そのとき強い風が吹いた。風は口に入り、頬を膨らませたあと鼻に抜け、かび臭かった。エアコンの風かもしれないけども、私にはよく解らない。なぜなら、その風に押しやられ外に出てしまったからだ。口には臭いが残っていた。足が痛み、押された際に捻ったのかもしれない。変色していないか確かめたかったが、でも入り口のそばにいては邪魔なので、歩き出した。

車に戻った。足に変色はなかったが、口には臭いが残っていた。鼻から息を吹いても取れない。諦め、携帯を出し、本来の南の接種会場へのルートを調べていると、左から硬い音がした。見ると、隣の車のドアが私の車の左側に接触しているのだった。しかし、隣の車の運転手は謝らず、頭を下げもせず、そのまま車を出、どこかに歩いていってしまった。

つまり私は、誰からも見えなくなってしまったのだと思う。本来いるべき接種会場にいず、いま遠く離れた場所にいるせいで、流れから外れ、いないものになってしまったというわけだ。

それでも私はワクチン接種を受けたかった。だから車を走らせた。臭いはいまだに消えず、むしろ濃くなった気がした。途中で便意が強くなり、公民館に停めてトイレを借りると、個室の外から三人組、おそらくは清掃員の声がした。「あの窓の汚れはなんだと思う?」「なんだろう、タコのかたちに見える」「我々が拭かなければいけないだろうか」「きっとそうなんじゃないか?」「ブラシで事足りるだろうか?」彼らは話しやめない。私の個室の扉は閉まっているけども、おそらく誰も気づいていない。ずっと喋っており、でもそれは当然だ。なぜなら私はいないものだから。

用を済ませ車に戻った。走り出し、もちろん臭いがあって、私が走っているというより、車が臭いを乗せて走っているというのに近い。それは陳腐な表現だが、実際そうだ。私はいないものなのだから、私が車に乗っているというのは間違いで、臭いが車に乗っている、これこそが正しい。

少しして、臭いは南の会場に着いた。予定の時間を大きく超過していた。しかし臭いはワクチン接種を受けたく、エントランスの自動ドアをくぐった。すると両脇から、「××様ですね」「お待ちしておりました」と声がし、スタッフのふたりが深く頭を下げた。彼らには私が見えていた。顔を上げた彼らが同時に鼻をつまみ、つまり私は臭いようだったけども、私はただ、彼らが私を待っていてくれたことが嬉しかった。

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