ファイナルデッドブリッジを観て

中学のころ、ファイナルデッドブリッジを観た。この映画の冒頭では橋が落ちる。大勢死ぬけれども、数名が助かる。でもその数名も次々死んでいく。なぜなら、死からは逃れられないので。つまり、“死”から逃れたあとも、“死”から追いかけられ続ける、という構図。

私はそういう映画を観るのにはまっていて、勉強も部活も二の次になった。疲労骨折と偽って、陸上部の、長距離走の大会を休んだ。そのようにふまじめな部員だったので、体力はつかなかった。

就職後、上司が私に、駅伝大会に出ようと言った。私は断ることができなかった。きつい勾配のコースを二周させられた。息が上がった。中学のころちゃんと部活をしていれば、もしかしたら余裕だったのかもしれない。でもつらかった。私は、つらいことをさせられるのがいやで、職場を辞めた。

転職先で、ある日上司が、駅伝大会に出ようと言った。前の職場で出たのと同じ大会だった。私は断ることができなかった。きつい勾配のコースを三周させられた。走り切った直後、私はうつ伏せに倒れた。救急車を呼ぶ誰かの声がした。でも徐々に聞こえなくなった。私は地面を見つめながら、駅伝からは逃れられないのだ、と思った。

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