なぜあなたはギリギリまで仕事をしないのか
危険を感じるのが遅い。
たとえば冬、雪が降り始めても、積もり切るまで私はタイヤ交換をしない。スリップして危ない目に遭って初めて、あ、ガソスタに行かなくては、と思い立つ。
いつか命を失いかねない。敏感に危険を感じられるようにならなくては、と強く思わされる事態が先日あった。
仕事終わりの夜、大寒波の中、凍結した路面を車で走っていた。あと30分で年明けだったので、新年までドライブし続けようと思った。突発的な思いつきだった。直前まで、職場でご飯を譲り受けたご飯、それを食べながら年越ししようと企んでいたのにだ。私にはこうしたことがよくあった。
角を曲がると、見慣れない景色になった。夜で周りが見えづらかったし、雪で景色も様変わりしていて、曲がりどころを間違えてしまったらしかった。ガソリンは残り3分の1だ。が、家から大きく離れなければカンで帰り着けると思い、たまに曲がりながら、前へ前へ車を走らせた。暖房をマックスで点け、携帯でマカロニえんぴつのPVを流しながら走り続けた。すべての道は我が家に通じている、と思った。それを信じて、引き返すということをしなかった。
走っても走っても知っている道に出ない。順調にガソリンが減り、携帯の充電も4分の1を切った。周りは田んぼばかりで民家もない。そこで私は初めて危険を感じた。JAFを呼ぶことになるかもしれないと思った。
それでもしばらくそのまま走った。そのうち大まかな方角さえ解らなくなった。そこでやっと暖房を下げ、PVを切った。遭難するかもしれないとそこで気づいた。残量がわずかの携帯で地図を開いた。あせりながらも道をたどって、どうにか大きめの道路に復帰することができた。
しばらく行くとガソスタが現れた。しかし私は、自分でもよく解らないが、それをスルーした。おそらく、ここまできたら帰り着けるに違いない、と思ったのだ。
そして結局、運よく家に着くことができた。時刻は1時になっていた。私は初めて暖房を切り、助手席にずっと置いていた寿司を持って家に入り、大丈夫だろう、とつぶやきながらすべて食った。
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