雑記:地獄、厭世とかじゃなく
「現代社会は地獄!世界の終わり!」って軽口を叩くように雑談してたら、「昔からそういう悲観的な主張はあるよね。昔も現代も辛いんだよ。」みたいなことを言われた。
めっちゃクソ。クソのエレファントカシマシ。
エレカシの『ガストロンジャー』という曲を思い出した。すごい名曲だからみんなに聴いてほしい。
でも、なんでか友だちに言われると少し癪に触る。「止まない雨はない」とか「夜は必ず朝になる」といった名言のような言葉も腹が立つもんな。
次はamazarashiの『雨男』を思い出した。この曲もすごい良くてみんなに聴いてほしい。amazarashiは後ろ向きなようで前向きな名曲ばっかり。
この曲にもあるように、「止まない雨はない」系の言葉に感じる逃避や諦観、根性論が苦手なんだと思う。解決策として不十分では?って。
よく言われることだけど「いずれ雨は止むことを知っているけれど、いま降っているこの雨に耐えられない」みたいな。現状に対する答えはない。
最終的には「みんな辛いんだよ」とか「誰だって苦労の1つや2つあるよ」とか、のたまうんだろうな。めっちゃクソ。責任や原因の所在をずらすような合気道すぎる。この悲痛や心労を個人から集団に希釈して、そして悲痛や心労を満遍なく塗りたくって解決した気になってんなよ😞
それに「みんな辛い」という言説は、むしろ、みんなを辛くするだけなんじゃないかなと思う。個人のストレスを全体に分配なんてダイバーシティすぎる。少数を配慮するあまり多数を蔑ろにしてる現代社会の変なところと同じでは。ほんとに地獄
結局、冒頭の友達の発言に、なんで少し腹が立ったのか考えてみると、「世界は地獄!世界の終わり!」って言いながらも厭世観や虚無主義じゃなくて「辛いね」ってただ共感したかったけれど、話の中心が共感から悲観に変わったことなんですよね。
そうすると、オモコロの永田さんが言ってた、「コミュニケーションをクイズにするな!」を思い出した。
相手も共感するだろうと期待してこの発言をしてた。でも共感として返ってこなかったから腹が立った。これじゃ相手をコントロールしようとする傲慢だったのかも。それだったら本当にごめんと思う。「まぁ、ぁね」って少し困り顔な共感の具合で返事してしまった。
これは自省しないといけないし改めて身に沁みる。
いや、やっぱり自分が正しい気がしてきた。頭を整理して冷静になって考えても「この世は地獄!」って言葉に対して「そういう厭世主義は昔からある
よね。昔からそうだよね。」って返答、やっぱり、おかしくないかな?
どう考えても、共感というか愚痴や鬱憤以上の意味なんて無くない?
決して宗教的な主張ではなく、世界はそもそも地獄では?
星野源の『地獄でなぜ悪い』を聴いてもらって、もう一度話したい。
(余談:amazarashiと星野源は、絶望の中に希望を見つけるところが好き)
とにかく、「止まない雨はない」とか「みんな苦労してる」のような、何にもならない言葉は嫌いです。
もっと言えば、そもそも社会が悪い。
もっと、しあわせな空気になれって感じ。