料理人に才能は必要か?
今回は料理人をやっていて、必ずぶち当たる「才能と努力」問題について。これは以前、NHKの対談番組でフェンシングの太田雄貴さんが言っていたことがとても心に残っていて、それを自分なりに咀嚼して書いてみました。
まず結論から言うと、ミシュラン3つ星やMOF獲得など世界トップクラスの料理人になるには才能が必要ですが、料理人として食っていく、オーナーシェフになる、ミシュラン1つ星獲得は努力でいけると思います。
むしろ重要なのは才能よりも致命的なハンディキャップがないかどうか、だと思います。どれだけ包丁技術や火入れが上手くても重度の小麦粉アレルギーだったり、心肺機能に障害があって長時間の労働に耐えられないとなると、料理人として生きていくのは難しいです(不可能ではないけど)。
では、努力とは何か?
例えば、「続けること」。これは継続であって努力ではない。では、「理不尽に耐えてしんどい思いをすること」。これは苦労であって努力ではない。
努力と言うものを太田雄貴さんの言葉をもとに以下のように定義してみました。
「できる理由やできない原因を言語化し、継続的に改善をする行為」
ここで重要なのは二点。
ひとつめは「言語化」というところ。才能のある人間は、一度教わっただけでできるし、なんだったら教わらなくてもできるので、言語化するプロセスを経ていません。そのため再現性がないため、一度スランプに陥るとなかなか抜け出せない。一般的に言われる「器用なやつほど伸び悩む」の原因はここにあると思います。
ふたつめは、理由や原因というインプットと改善というアウトプットを繰り返す。つまり因果関係を考えるという論理的思考の基本ができているかどうか。
つまり料理に限らず、技術を生業とする仕事にもっとも大切なのは「才能」よりも「言語化」と「論理的思考」です。
そしてこの二つを習得するのにもっともベーシックな方法は国語、数学、理科、社会といった中等教育(中学、高校)の学習をすることです。
みなさん、学校の勉強は役に立ちます!
料理人よ、感性やセンスといった耳障りの良い言葉や手先の器用さに逃げるな!
過去にAmazonでポチっとした書籍
追記
·教える側と教わる側の両方が、「言語化」と「論理的思考」の能力が高ければ、強い組織ができるのではないだろうか。
·絵画や音楽のような一見感性の領域こそ数学的な論理でできているし、数学の世界こそ才能や感性が大切。なぜなら、数学の目的は、まだこの世にないもの(人間が認識できていないもの)を数字で表現することだから。
追記2
実はこの記事を書いた直後に映画「ラストマイル」を観ました。耳障りの良いマジックワードは、思考を放棄した人間を簡単に支配してしまう。世の中を変えるためには、言葉の取り扱い変えるところから始めたほうが良いかもしれない。
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