文章を書く練習に僕がカレーライスを好きな理由を思い出してみた
僕の場合なにかの食べ物が好きな理由って大体幼少期の良い体験が元になってる。
マグロの刺身、手羽先、豚肉とキャベツの炒め物は物心ついた時から好きで、今でも好きな食べ物。
これらは僕のことを可愛がってくれた爺ちゃんがが好きでよく食べてた食べ物。
僕は爺ちゃんの晩酌に毎晩楽しく付き合って、それらを一緒に食べた。
爺ちゃんの膝の上で楽しく。色々話しながら。
結果それらが好きになった。
きっとパブロフの犬的なものなのかも知れない。
マグロ=楽しい=好き!
爺ちゃん=好き=手羽先=好き!
みたいな。
逆に嫌いな食べ物って嫌な体験を元にしてることが多い。
そうめん、塩サバ、厚揚げ。
これらは僕に虐待を繰り返した養父が好んでよく食べていたものだ。
今でも見るのが嫌なくらい嫌い。
そこで、カレーの出番だ。唐突だけど。
カレーも好きな食べ物の一つ。
でも理由が思い出せない。
今回はカレーが好きな理由を『食べ物を好きになる理由は環境的要因がある』という視点から考えた。
カレーが好きな理由を探る
記憶をたどると、小学校3年生の時に給食のカレーの日をめちゃくちゃ楽しみにしていたのが思い出せる。
ということは、このころまでにはカレーが好きだったという事。
でも、これ以上記憶を遡ろうにもカレーに関係する記憶は見つからない。
給食で初めてカレーを食べた説
ということは、給食でカレーを初めて食べたという可能性も。そしてそれから給食のカレーが楽しみになったという線。
このころの僕は学校が好きか嫌いかで言うと好きな方ではあったと思うから、カレーに嫌な思いが映り込む可能性は低い。
でも小学校3年生になるまでにカレーライスに触れないで生きていたとも考えにくい。
爺ちゃんと食べてた説
実は爺ちゃんと食べていてカレーが好きになったんじゃないか説も考えてみた。
でも、この線はかなり低い。
爺ちゃんとのことは何でも思い出せる。
爺ちゃんが着てた服、たばこ、載ってた自転車、愛用の懐中電灯、部屋の間取り、部屋の装飾、何もかも。
でもその中にカレーは一切出てこない。
ていうか爺ちゃんが米を食べてたのって『おじや』くらいしか記憶にない。
そもそも古い和風な爺ちゃんがカレーを食べるのが想像できない。
この線もなさそうだ。
家で食べてた説
この線が一番濃いけど、小3までに家でカレーライスの記憶がない。
シチューはよく覚えてるんだけど。
というか、昨日食べた夕飯。
どころか、今日の昼ごはんですら思い出せなかったりするのに、何十年も前に食べたものを思い出すのは難しい。
でもきっと、家で食べてた可能性は高い。思い出せないだけで。
でも家で食べてたとするのなら、好きになる理由がない。
家では虐待されていたので安全な場所ではなく、楽しい食事時間を過ごしたことは無いから。
今回のこの文章は、何か環境的要因があるからその食べ物が好きになるという始まりなのだけれど、それ以外に理由があるとすれば、カレーが素直に美味しいから。
結論
ありうる可能性は給食で初めてカレーライスを食べて好きになったか、家で食べてて、カレーが素直に美味しいから説。
普通におもしろくもなんともない結果になった。
今回文章を書く練習として
悪かった点
で、今回練習で書いたこの文章。良くない点は誰の方向も向いてないなってこと。
自分の中にしか向いていない。
よく言うじゃない?文章を書く時はターゲットを決めて書きなさいって。
そういう文章が書けるようになりたいな。
誰かが読んでよかったなって思われる文章。
良かった点
でも、自分を表現することはできたかもしれない。
難しいね、文章。
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