アニメ制作会社に入社した友人が最終的に自殺した話
はじめに断りを入れておく。この話は私の主観による話で、本当に彼が自殺したのか確認は取れていない。
というか今もどこかで生きていてほしい。
さて、彼との出会いから語ろう。
彼はアニメと近代建築が好きなオタクで、ツイッターで知り合った。
割と哲学的なことを話題にしたり、日本社会に対する不満も持っていたようで私と気が合った。
彼は勤めていた会社を辞めて、関東に引っ越してきた。
そして、リアルで対面し、僕たちはすぐに打ち解けた。
彼はツイッターでのキャラ以上におしゃべりで、おもしろい人だった。関西弁と、陽気だったり陰気だったりころころ変わる表情が楽しかった。もし太宰治が現代に生まれたら、こんな感じかもしれないと思った。
実のところ彼はそういう心の病気だった。私も躁鬱気質なところがあるが、極端になるとこうなるのかもしれない。
彼はしばらくアルバイトをしたあと、ほとんどの人が知っている大手有名アニメ制作会社に就職した。
いわゆる進行という肩書きで、やることはスケジュール調整とかほとんど使いっ走りである。わかる人はSHIROBAKOを想像してもらいたい。
彼は憧れのアニメ業界に入れたことと、それなりの収入(ほぼ残業代)に喜び、持ち前のコミュ力と行動力で仕事をこなしていた。
会うと生き生きと自慢話を聞かされた。
しかし、次第にツイッターでの書き込みが不穏になっていく。
ひさびさに会うと明らかに様子がおかしい。
全然休めないし、トラブル続きのようだ。
ここのところ話題になっている通りの長時間労働と低賃金。
アニメに憧れる若者だったからこそ、夢と現実のギャップは彼を大いに苦しめた。
そして彼は会社を辞めた。
ツイッターには死にたいという叫びが度々書き込まれ、会うと明らかにやつれていた。
共通の友人も心配して、何度か食事に行った。
少し休んだ彼は、再びアルバイトを始めた。
しかし、サービス業で客に絡まれてトラブルになったらしく、クビになった。
最後に喫茶店であった彼は、自身の病気と現状について私たちに話した。
そして、「今すぐ死ぬつもりはない。一度地元に戻るけれども、必ず復活する。また会いましょう」と言って別れた。
それから数週間後だっただろうか、彼は生活の苦しさを語り、
「生きるのが億劫になった」
「何故自死を選ぶ権利というのは無いのか」
というツイートを最後に発信をやめた。
以上が私が彼と交流した2年間だった。
彼と直接会って遊んだのは数えるほどだった。
しかし、社会問題からくだらない下ネタまで、遠慮なく話て、旅の情報や生きる術を交換できる友人は多くはない。
特に近代建築と文学に関する彼の知識は一目置いていた。
お世辞でもお節介でもない。ただ僕には彼が必要だった。自分勝手な理由で、彼に生きていてほしかった。
彼が何で死んだのか。何に追い詰められて死を選んだのか。どうしたら彼を止められたのか。それは彼にとって救いだったのか。今でも答えは見つからない。そもそも私の中で彼はまだ死んでいないのである。
彼と見た近代建築の前を通るとき、ツイッターでブラック企業で苦しむのは自己責任という意見を見たとき、彼が勤めていた会社のアニメを見たとき、私は自分の中の彼を思い出す。