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秩父札所三十四観音霊場巡り 徒歩巡礼の記憶 2日目

霊場巡りや七福神巡りなんてものをやってみることにした。最も有名どころだと四国のお遍路さんや東京亀戸の七福神巡り、鎌倉の鎌倉・江ノ島七福神巡りといった辺りだろう。纏まったおやすみが取れたので、ちょうどいい距離で都心から行きやすい秩父札所巡礼を行うことにした。100kmという達成感を得られそうなちょうど良さそうな距離も決め手。
(熊野古道・中辺路徒歩制覇と悩んだがあちらは山続きで1日でも旅程が崩壊すると東京へ帰れなくなるためこちらにすることとした。)


2日目 午前

8時すぎに起床。今日はきれいに晴れている。良い気温で歩きやすそうだ。
9時前に出発し、朝マックで軽く食事をとり、巡礼を開始する。
快晴で武甲山が美しい。


朝の武甲山

上野町のウニクスを超えてすぐのところに11番常楽寺がある。丘陵の東側にあり、まだ陽があたっていない。ここは「夕日輝く龍雲が見える寺」とあり、なるほど確かに西に開けていて秩父市街を一望できそうだ。

野坂寺

次の野坂寺までは小道を進む。地方の古道を歩いているようで楽しい。羊山の方からの西武線の高架をくぐったすぐのところが野坂寺だ。風が強く線香が点かない。半分焦げただけのようなものになってしまった。
ご高齢の方が御朱印を入れてくれた。

小道
野坂寺
西武秩父駅前のセブンのトイレにあった漫画。

13番慈眼寺は市内の中でも最も中心に近いところにある。西武秩父駅まで戻り、秩父線の団子坂の踏切を渡って到着。近所の保育園の散歩コースなのだろうか、子どもたちがご挨拶をしていた。
御朱印を入れている間、お茶をいただきながら少し雑談。やはり雪は参ってしまうようで、その話になる。私が昔秩父のそばに住んでいたころも大雪が降って大変な目にあったことを思い出す。

少し昼には早いが、御花畑駅の出たところの立ち食いそばで天玉そばを食べる。秩父に来たときには必ず立ち寄るようにしている。

御花畑駅の駅そば。

14番の今宮坊へと向かう。今宮神社の方は有名なのか人がいたが、こちらには人がいなかった。明治時代の神仏分離でできたようだ。

今宮坊

15番少林寺は秩父線の踏切を渡ったすぐのところにある。用を済ませて出ていくと、ちょうど電車がやってきた。こういうのも風情がある。

西側より少林寺を望む。
ちょうど電車がやってきた

次の西光寺は公園橋の方になる。ここには四国八十八ヶ所の回廊堂があり、ついでに見物にいく。いつかはと心に思いながら一周。

西光寺

この時点で11時半少し前。次の定林寺でお昼にしても良かったが、もう一つ先の神門寺まで行きたい。少し足を早めて定林寺まで向かう。

秩父市街ではこういった道が続いた。アスファルトより歩きやすくて良い。

17番定林寺はアニメ「あの花」の聖地のようで、ポスターがいろいろと貼ってあった。ここから見る武甲山もきれいだった。

定林寺の入り口

急いで神門寺へと向かう。299号と秩父線、さらに140号を超え、着いたのはややぎりぎりだった。急いで読経を済ませて朱印帳に記入していただく。

神門寺。丘を越えれば三番常泉寺。

次の龍石寺も割と近い。ゆっくり歩いていくことにする。
途中に中学生の集団に遭遇する。終業式だったのだろうか。集団下校の引率の先生に怪訝な目で見られる。
確かに、見慣れない成人男性1名が突然観音堂の前で立ち止まり手を合わせていたらただの不審者だろう。通報されなかっただけマシである。

龍石寺。あとで戻る。

龍石寺についたときはまだ12時半まで時間があった。先に昼飯に行くことにする。秩父橋をわたった先の「ささいち」という蕎麦屋に入る。
1人客だったからか、給仕のおばさんとずっとおしゃべりしていた。
秩父のそばはうまい。なんだかんだほぼ毎日食べた記憶がある。


2日目 午後

ざるをいただいた後、秩父橋を再び渡り龍石寺に戻る。
このあたりから足の裏が痛くなってきた。魚の目ができてきたようだった。秩父に来る前に鎌倉三十三観音めぐりもしたが、やはり普段の運動不足が相当にたたっているようだ。3日めからは足の裏に絆創膏を貼ってなんとかする。
龍石寺の拝観は結局13時前になってしまった。

秩父橋の袂にあった札所連合会の看板。

秩父橋を再び渡る。これで3回めとなる。岩之上堂への道は通行止めとなっていたので迂回路を通行する。ここから尾田蒔という地域に入っていく。


20番岩之上堂は今回の巡礼の中で最も好きなお寺だった。札がたくさん貼ってあり、巡礼の歴史を感じさせる。

お堂の中は是非訪ねて欲しい。

すぐに観音寺に到着する。尾田蒔は秩父市街より一段高いようで、武甲山と市街を一同に見渡せる。

秩父札所の歩きは武甲山を見られるタイミングが多い。

次の童子堂は移転したようで江戸時代とは巡礼道が異なっている。県道沿いに歩いていくと20分ほどで到着。少し広い境内が印象的だった。
おじいさんが休憩していた。この方も巡礼者なのだろうか。

童子堂

この日はホルモンで有名な高砂で予約を取っていた。風呂を浴びてそれから高砂に行きたかったため、バスや電車の時間が大事だ。この時点でちょうど2時。次の音楽寺までが30分強で、宝泉寺までさらに1時間弱。その次久昌寺まではまた1時間かかる。時間は厳しいものの、なんとか久昌寺まで行きたいものだ。そう思いながら童子堂をあとにした。

23番音楽寺は尾根の上にある寺だ。なかなかな登りを気合で登っていく。このあたり一体は秩父ミューズパークという大きな公園があり、以前飯能に住んでいた頃にはよく連れて行ってもらっていた。その中腹にあるのが音楽寺だ。なんとか登りきり、25分ほどで音楽寺に到着。歌謡曲歌手のポスターがたくさんあった。

音楽寺

ここから宝泉寺までの道のりは江戸巡礼道が最も残っているあたりだ。古道らしく歩きやすくも自然があふれた道が続いている。先を急いでいるのでじっくりと歩けなかったのは少し心残りであったが、歩いていて非常に楽しい道であった。
45分ほどで法泉寺に到着。この時点で15時15分くらい。

古道。

納経を済ませ、Googlemapとにらめっこする。2.5kmを25分で済ませれば次まで行ける。進むことを決め、県道を下っていく。

尾田蒔を抜け、久那の方に向かっていく。交通量が多い割に歩道がほとんどない。小走りで進みながら道を急ぐ。秩父市街がだんだんと遠くなっていき、山が近くなってくる。
巴川のあたりは山に貼り付いたような家が多い。ジャージに自転車の中学生が私を追い越していく。
巴川荘という宿を見つけた。雰囲気の良さそうな宿だった。
ここをぬけると下り坂にはいり、久那の集落に入る。ここは空気の流れがゆるやかだった。東は開けているが、すぐ西が山になっている地形なので段々と暗くなってきた。

荒川の蛇行する様子。

15時45分、久昌寺に到着。弁天池が美しい。
足早に納経を済ませる。電車の時間が近い。

浦山口の上りは16時11分だった。久昌寺からは1.2km。同じペースで走り続けないといけない。後ろ髪を惹かれる思いで久那をあとにする。
荒川を渡れば、浦山口駅はもうすぐだ。電車がやってくるのももうすぐだ。

荒川を渡る。

浦山口駅は高台にあり、階段を登る必要がある。階段の下で、もう踏切が鳴ってしまった。奥から電車が鉄橋を渡る音が聞こえてくる。大急ぎで切符を買い、なんとか電車に飛び込んだ。

この時にはもう電車が来そうだった。

祭の湯で汗を流し、荷物そのままで高砂ホルモンへ。
秩父はホルモンが有名で、美味いホルモンが食べられる店がいくつもある。
我が家では高砂が一番で、昔はよく行っていた。

シロとレバー、お新香で始める。
肉が新鮮でとにかくうまい。それにやすい。
さらにハラミと忘れてしまったが肉2種、酒2杯を飲んで3,000円しないのだからとにかく安い。東京で同じ鮮度の肉を同じ量食べたら8,000円をくだらないだろう。ホルモン食べるならリフレッシュ感覚で秩父に来ることを強く勧めたい。特に高砂の本店。御花畑の方はどうだかね。詳しくはいわんが調べてみてほしい。

秩父鉄道はハサミを入れてくれる。

2/26(月) 天気 晴
33,875歩
歩行距離 23km


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