畏怖
私は自分の内側のことばかり考えている。
自信がなくコンプレックスの塊で自意識過剰。そういう自分をずっと嫌悪してきたし、少しでも何かを変えたいと思い続けて、彼女達を、とりわけ彼女達の強い眼を描く事に段々と辿り着いた。
彼女たちの真っ直ぐな目は私を見透かしてくる気がする。
それは私の妄想だが、どうしても人智を超えた何かがあるように感じ、畏怖の念を抱いてしまう。それはコンプレックス故だったのかもしれない。
意志の強い(強そうな)美しい目が私に突きつけられると、後ずさりたい、逃げたいような気持ちになって冷や汗をかく。自分の意見もはっきり言えず、おろおろするだけの私の内側が暴かれていく。
色んな事が上手くいかない、そういう自分を表に出したくない、見られたくない。だったら外に出さなければいい。そうして隠して逃げてきた。
でも彼女達の前では、観念してさらけ出すしかない。既に彼女達は私のことを見透かしている。そんな気持ちにさせられる。そうして人に隠して逃げた自分も、ずるさも全て、人に見せたくない部分を出していくしかなくなる。逃げ場がないのだ。
彼女たちやその強い眼を描いた絵は、私自身を一番刺激して、奮い立たせる為のものだ。私の絵は一枚一枚描く前にテーマがあるわけでもないし、先にタイトルがある事もない。全てたった一つのものを目指している。それは、私が畏怖を感じるかどうか。
圧倒され、ひれ伏したいまでの存在を描かなければ、感情は動かない。畏怖に値する絵を描いた後に、観念してタイトルを差し出すのである。見透かされていると感じて初めてわかる自分の領域もある。自覚していなかった部分まで深く掘ることができる。そのために描いていると言っても過言ではない。
私の絵を見て「だから、ただ美しいだけじゃなくて居心地の悪さを感じるのだな…」と仰って頂いた時にものすごくしっくりきた。人目が怖くて自信がない、そんな自分に突きつけられる真っ直ぐな眼。居心地の悪さすら感じる、畏怖の対象を描きたいのだ。そういうものを前にして、ひれ伏して自分を差し出し続ける。私はずっと自分を掘り続けてきたしこれからもおそらくそうだろう。誰かが見てかっこ悪くても恥ずかしくても、私にとって重要な事はそれだけだ。