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日本の木造家屋について

近年の日本の住宅環境は、コンクリートで囲まれた真っ白い、ただ四角い箱となり、機能性と経済性以外はどんどん欠落していった。ここ数十年で起こった生活文化の変化は特異だ。


私は築70年の木造家屋で暮らしている。谷中の古い路地の一角にある。畳部屋二間の何の変哲もない木造住居であるが、住んでいるうちに昔の日本人が木造で暮らして来た理由が分かった。

障子や襖で仕切られた部屋は、絶えず外の光を取り込み一日の光の変化を感じさせる。そして、音を伝える、鳥の囀りがよく聞こえる。隣人の生活音や声が聞こえる。木や土壁や和紙が呼吸する。湿度があれば吸い込み、乾燥すれば吐き出し、湿度をちょうど良く調整する。

家の素材として使われている木、紙、土は、古くから日本人の皮膚であったのだ。家の中で暮らしながら、ちょうど良く外の空気、音、光を感じていた。感性の家で暮らすことが日常であった。


日本の木造住居にあった特徴として、精神性も特筆すべきだろう。

床の間や仏間、神棚の存在について。床の間は先祖の言葉を掛けたり、花を生ける。先祖が降りてくる、あるいは繋がるように感じる。先祖を敬うため、床の間の床は一段高くつくってある。

神棚は常に清浄に保ち、日々祈る場所。昔の日本人がどれだけの信仰心を持って暮らしていたのかは簡単には測れないが、家の中にそういう神聖な場所を作り、日々精神を整える性格を持っていたことは確かだ。

玄関、台所、居間、庭、それぞれに異なる空気感があり、異なるエネルギーのコントラストがあった。


自然を感じ、先祖を感じ、自分の分際を知ることを常としている暮らしがあった。感性は常に家の外にまで広がり、常に変化していく生命体としての家があった。

それは人間にとって自然体でいられる暮らし方だと感じている。私が住んでいるこの木造家屋もとても居心地が良く、くつろげる。

マンションの一室に住むような人を思うと、よくそんなに住みづらい所で暮らせるなと思ってしまう。

感性を取り戻した私は、もうコンクリートの箱に押し込められるような生活には戻れないと思う。

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