試練のとき
「もう谷中ロータスさんは、ベトナムに戻ってこないかと思ってた」
無事ベトナムに再入国できたことを周囲に告げたとき、ある友人から返ってきた言葉だった。
割と的を得たことをいうなぁ、と心の中で苦笑した。私自身、日本への一時帰国が決まったとき、もしかするともうここには戻ってこないかもしれない、ふとそんなことを思った。
1.ハノイは大好きだ。でも…
申し分のない衣食住、ハノイで出会った面白い人々、外国暮らしならではのエキサイティングな日々…
全てが最高だった。ある一つのことを除いては。
だが、その「たった一つのこと」が、徐々に私の心身を蝕んでいった。
(それは現在も進行しており、誰が読んでいるか分からないため、詳しいことは書けないが、いつか、全てが終わったとき、明るみに出したいと思う)。
友人と楽しく談笑していても、そのことが頭から離れない。夜も満足に寝付けない…
私は逃げるようにしてベトナムを飛び出し、夫や家族が待つ日本へと帰った。
日本で過ごすうちに、私は見違えるように回復した。
帰国したばかりのときはげっそりとやつれていた頬が徐々にふくらみを取り戻し、食欲が戻り、またぐっすり眠れるようになった。
2.戻るべきか、戻らないべきか。それが問題だ。
ベトナムでコロナが再発したため、入国承認が下りず、思いのほか日本で長く過ごせることになった。
本当に不謹慎だが、「入国承認が下りないため、ベトナム渡航日を延期します」との連絡を受けたとき、思わずガッツポーズをしてしまった。
それでも、やはり、その日はやってきた。ベトナムへ戻る日だ。
正直、心は鉛のように重たかった。事情を知る人達からは、「無理して戻る必要ないんじゃないか」と口々に言われたし、私自身も、「ベトナムへ戻らない」選択肢を一瞬本気で考えた。
「戻るべきか、戻らないべきか」
私は自身のことを「自由人」だと認識しているが、やはり4年間の社会人生活を通じて無自覚のうちに育まれていた、「社会規範」なるものを捨て去ることはできなかった。
…2月25日、私は夫や家族と泣く泣くお別れをし、ベトナム行きの飛行機に乗り込んだ。
3.友人達や同僚からの、思いがけないメッセージ
日本へ帰国する直前は特に追いつめられていたこともあり、日本へ帰国してしばらくは、ベトナムでの日々をあまり考えないようにしていた。
そんな私のもとへ、思いがけないメッセージが届いた。
「谷中ロータスさん、いつ帰ってくるの?早く会いたいよ」「みんな、谷中ロータスさんの帰りを待ってるよ!」
「ベトナムへ帰るのをやめて、このまま日本にいようか」
そんな私の心の声が漏れたのかと思うくらい、友人達や同僚から次々とメッセージが送られてきた。
ベトナムへ来たのは昨年の6月末。ハノイでの生活は半年ちょっとしか経っていなかったが、思いがけず友人や同僚には恵まれていたようだ。
4.すべての経験にはきっと意味がある
私を追いつめた「たった一つのこと」は根本的には解決していないし、もしかしたらしばらくは苦しめられ続けるかもしれない。
それでも、きっと、ベトナムへ来た意味はあるのだろうと思っている。戻ってきた意味も…
「すべての経験にはきっと意味がある」
正直いまのこの辛い経験が、今後どう生かされるのかは分からないけれど、ハノイでの生活を終える頃には「ハノイに来て良かった!」と笑える自分でいたい。