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子に親を超えてほしい。そう思うと組織は伸び、親は晩節を汚さない。YANAGIHARAボクシングジム版

松尾佳彦を他のジムで教え出して5年位で、私はジム開設に至る。

開設して4年目で松尾はYANAGIHARAジム初の、日本ランカー、東洋太平洋ランキングボクサーとなる。

その後、2017年4月に引退。30戦以上のプロキャリアを誇るが、私は松尾のデビュー二戦目からの専属トレーナーだった。

本日、筋疲労でグッタリしてくつろいでると、松尾が遊びに来た。

日本ランク入り前の松尾

何となく遊びに来たそうだが、私は毎日不動産だのゼネコンだの、議員や税理士という、お堅い人達が日替わりランチの様に来る。

こういう時、教え子がくると、何というか仮面も洋服も脱いで、裸の様な気になるのは何故だろう。

さて、私のジムの最高顧問で私の、海外トップクラスのチャンピオンの技術の師匠は、島田信行という辰吉丈一郎を育てた人だ。

世界チャンピオンや日本チャンピオンを多数輩出し、エディタウンゼント賞という、当時は相当な値打ちのある賞を受賞した。

しかし初対面から現在に至る迄、ボクシングというより男同士の付き合いのほうが深い。

松尾の日本ランカー迄の道のりは、長かった。

日本ランカーへ挑戦2度目で、松尾が僅差で負けた後から、島田さんが私によく言っていた言葉がある。

「可哀想だが彼は東京、大阪では6回戦の実力しかない。本人のボクシングスタイルが変わらない今、ランキング入りは無理だ。」

島田トレーナーは、トレーナー歴は今や40年。教え子の世界タイトルと日本タイトルだけのセコンド経験だけでも30戦は超える。

選手を見たら、すぐにレベルを見抜くのは当たり前である。

電話での会話中、私が松尾の打ち方を話したりしてると伸びてない事も伝わる。どう考えてもこれ以上は無理と言われるのは正しい。

島田信行トレーナーは何が言いかったかといえば、私がこの頃、満身創痍で指導してる事を知ってたので、怪我の私を諌めてくれた。

私が頑固な事も知っており、私が松尾以外に多くの選手を指導する現状を気遣ってくれていた。

もう良いではないか、十分やったじゃないか。
そう言う意味での発言でもあった。

引退報道

しかし私はさらに松尾に日本ランカーへのチャンスを与え、ここでも僅差で負けた。

それから2人でまた1からやり直し、4度目の正直で韓国チャンピオンに勝ち、悲願の東洋と日本ランキングを獲った。

私は無理という言葉がどうしても嫌いだった上、松尾は私を信じ、一心不乱に朝走り、練習をしすぎるので週2回練習を休ませた。

15年前の指導風景

松尾を教え出したのは、彼がまだ20歳位の頃。

と言うことは今、松尾が38歳なのでもう17、8年になる。そう思うと、つい眩暈がした。

今も変わらず私の言葉を、まるで背中に竹竿を入れた状態で聞く。

10数年も前、彼のターニングポイントになる時、話した言葉を一言一句覚えている。賢い人間は大切な言葉を集中し聞く。

聞いて己を直そうとするので忘れない。忘れる者は集中して聞いてもないし、己を直す気がないから覚えない、成長しない。

私は不思議と母子家庭の子が付いてくる。

引退後、母子家庭で育った松尾は、後援会に挨拶に行く度、柳原さんは自分の親父だと言った。

私はいつまでも若くいたいので、兄と呼べ、と冗談を言っていた。

いや、冗談ではなく、私は若くいたい、若く見られたいという願望が実は物凄く強い。

だから気持ちは、親父という感覚を持たぬ様にしていた。が、もうそういう気持ちも本日捨てた。

「あの子は元気にしてますか?」「あいつとあいつが、仲良いので微笑ましいですね」。
「キッズ会員増えてますか?」「身体の調子はどうですか」。

家に来て、松尾はこんな事を会話に入れてくる。

私の全てをジムで一番知る松尾だけに、歳を取った私を気にして、それを悟られぬ様、さりげなくジムと健康面を聞いてくる。

もし「誰々がダラけてる」などと言おうものなら、必ず裏で揉めないやり方で動いてなんとかする。松尾はそう言う男になった。

「他人事なら良いけど、自分の事になったら騙されるとこがある。俺が生きてうちはいいけどなあ。死んだら助けてやれん。そう言う人を見る目も養う様に」。

私は私で松尾に親父の様な事を言う。本人も自覚していたが、よく簡単に師弟と言うけど、私達は本当の師弟、親子だなと思う。

松尾は意外にドジなところがあった。若い頃はよく相談に来て、色々と解決策を教えたりしていたが、今はもう立派になった。

どれだけ素晴らしい人でも、私がその人を嫌い出すと松尾も嫌いだし、私が嫌いな人に怒りを覚えると、松尾も同じく怒りだす。

私は一時、松尾の育て方を間違えたと思った部分があり、それがあるから今の教育に役立てている。

それでも松尾は人を許す器量は、松尾が30歳の頃、既に私を上回っていた。努力に関しては勝負にならぬ程凄いものがあった。

そう言うところが今、4人家族の父として幸せになった理由と思う。家族を持たぬ私より断然素晴らしい。

松尾は現役ボクサーの最後、怪我が最期まで治らず、負けが続くと潔く引退した。

私は私の出来る、ささやかな事しか出来ぬ範囲で、盛大な松尾佳彦引退興行を興した。

その時一番考えてくれたのが、実は島田信行トレーナーである。

松尾が日本ランカーになり、私と松尾の次に喜んだのは、実は島田トレーナーだった。

ガチンコファイトクラブで辰吉丈一郎の弟分。今もテレビで活躍する明石の元日本ランカー戎岡彰氏を引退式の相手に呼んでくれた。

戎岡彰会長と松尾佳彦

戎岡氏は小倉に来るなり「こんな大事な時の相手が、僕やいうのが光栄です」と言ってくれた。

引退エキシビジョンでは、本当に真剣に殴り合ってくれつつ、松尾に花を持たせた。

これは、最高の興行、最高の引退式だったと思う。

余談だがこの数ヶ月後。YouTubeでこの興行のシーンが上がり見ていると、涙する光景があった。

会場の人気のないところで、人に頭を下げぬ島田さんが「戎岡、ホントにありがとな。」と言い、頭を下げ肩をポンと叩いていた。

松尾佳彦が皆を、興行をそうさせた。

私は実は物凄く照れ屋なところがある。良い人を演じたり、寄付してる事なんぞを知られると、赤面するので、大概隠すか逃げる。

松尾佳彦、最後の現役インタビューをリングで終え、松尾が降りてきた。さあ、どうしようかと思った。

まさかハグなんかしてもらうと思うなよ、と思い立ちすくんでいた。松尾も私のこの性格は一番知っている。

しかし結果、こうなった。

もう私はこれを書いたからには、松尾を含め、他の教え子の親父となり、今の若手の親父でもある事を認めざるを得ない。

しかし、だ。一つ問題が残る。

そうすると、小学生からすれば、私はお祖父ちゃんなのだろうか。

それだけは・・・。


イヤダーーー!(笑)。




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