旦過市場火災は北九州市民が結束するチャンス
写真にあるのは毎月行われる、NPO YANAGIHARAホールディングスの繁華街及び駅前街頭清掃とパトロールである。
師を持つ事を最近よくここで書いてあるが、今回、女性のボランティア団体がこの活動に協力してくれた。
将来、彼女達と我々が、良い意味で師友となる事を願う。この様な行動を通じ、最近更に人間の本質がよく見える様になった。
お金を持ってる人は内部留保などより、拠ない事情で裕福でない人を援助する。
援助してもらった人達は、お金はあるけど、その人の苦手な分野を助ける。
お金も知恵もないけれど、度胸だけは負けない人は、強気を挫き弱きを助け、頭の良い人は知恵を出す。
この様な相互扶助の精神を持つことが、即ち本来の家族制度であるので、そういう制度に世界中ががなるべきと思っている。
本来の家族制度になれば、お金を出したとか人を助けたとか、そんな事は本来当たり前の事で、朝起きて歯を磨く様な事と言える。
さて本題に入る。北九州では旦過市場という、北九州の台所とも言える市場で大火災が起き、大変なことになっている。
そこに困ってる人がいるのに、心配したり出来る事はないかと思うのは当然である。
そういう思考を持たない人に限って、手柄だけを欲しがる。
よく考えてほしい。
家族の誰かの家が火災に遭えば、飛んでいくのが普通である。
この事に議論の余地はない。
実は旦過市場は何年も前から、再開発の話があった。当時、私はあるクライアントから、こんな事を依頼された。
「まだ公表されてないが、旦過市場再開発の情報が入った。ここの利権に食い込みたい。○○会社とコンタクトが取れないか?」と。
利権のみでの想いが見えたので、私は動かなかったが、やっと再開発の話が纏まり、さあこれから。そう言う時に火災が起きた。
今こそ北九州市民という家族が、同じ家族である旦過市場の危機をどうやって手を取り、助け、より良いNEW旦過市場にしようか。
そう思うのが当たり前で、昨日からこればかり考えている。
困ってる人がそこにいて、助けようという意見も気持ちもない、私が参加しているあるグループに、私は久しぶりに怒りを感じる。
物事は、緊急で危機的な事を最初に片付ける。組織では当たり前の事である。
私はこう言う時、当NPO法人の最高顧問の市議に何が出来るかを常に相談する。
今日はそれに加え、某衆議院議員の秘書の方にも相談した。
彼らからの返答は素早く的確であった。本来この様な事は1人では考えれないので、可及的速やかに的確な指示を出して頂いた。
最近SDGSがどうだとか結局、利権狙いじゃねえかと思う。
善は急げという通り、思い立ち実行しなければ絵に描いた餅であり、失敗を恐れるのなら何もしない方がいい。
残りの余生を生きる為には、スピードも大切である。時間はお金では買えない。
私はこの火災については、今後識者の意見を聞き情報を集め、自分と当ジム、当社従業員を集め、やる事は私が決断する。
そして、決まった事は命令する。
家族では物事を命令し、正しい道を子供に歩ませ、いざ責任を取るのはお父さんである。
ジムには小学生を含む子供たちがいる。この子達に父親としての背中を見せていく義務が私にはある。
この動画にある様、私が育てた子供達が、得もないのにこうして活動をしている。ゴミを拾ってるが全てこの子達の自腹である。
最近、師友ではなく私の弟子が私の師匠になってるので、子友、とでも呼ぼうかと思ったが、調子に乗るのでやめた・・・。
やはり義より先に利がきてはならぬ、という教えは絶対に正しい。
まずやろう。
そう決めたら、何か気持ちが晴れやかになって来た。
やらない理由を考える者を責めたり否定はせぬが、そういう者は、家族ではない。先日書いた反面教師である。
家族でない者に、飯を食わせ時間をとるほど、私は暇ではない。
今そこに助けなければならぬ人がいる。
その時にああでもない、こうでもないと言ってる場合ではないのではないか。
かの様に思うがどうだろう。