塀の外の懲りない私 Part2 人間の屑と、バカな私の1年間
さて、4月6日付note塀の外の懲りない私の続編でもある、今回のお話。
興味のある方は、上記からリンクして読んだら倍、面白いと思う。
さて、写真にあるのは、私の育ての親である。
工務店の社長だったが、この人は、強い者から虐められてる弱い人の駆け込み寺で、頼まれ事を断らない人だった。
「柳原!大きい会社はいじめていいんぞ!」
大手の会社が我が地元に入り、傍若無人な振る舞いをしてきた時、こう言われたことがある。遺言となるのだがよく覚えている。
暴力は絶対振るわず、怒ったと思えば五分で忘れる。
そんな人だったが、悪が力や金に物を言わせ大きな態度を取り、弱者や中小企業を泣かしたりすると、許さない。
こういう時この人の描いた絵図を頭に入れ、私が代理で交渉した。
この時の経験は大きく、楽しかった。一生私の師である。
当時地元に現職の大臣がいたが、横にSPがいるのに「おう!○○ちゃん、元気か?」と手を挙げニコリとする。
大臣も「おう!マッチャン」と私の育ての親の、松義という名を捩った渾名で笑顔で答える。
ある時は「おう!○○!お前は警察が狙っとるぞ。悪いことばっかするからやないか。気をつけとけよ!」と言う。
「あの人誰ですか?」と聞くと、とても名前を出せないが、今で言う反社会勢力のお偉い親分、と言う時が多々あった。
誰にも頭を下げず、一歩も引かず、話し合いが終わると立場が逆転し、敵だった相手は必ずこの人のファンとなる。
写真は私が26歳、育ての親が45歳の時。この時既に北九州での揉め事で、この人に解決出来ぬことはなかった。
私が30歳の時、即ち平成10年5月31日。
お酒も飲まぬのに、肝臓がんであっけなく亡くなった。
この時は泣くどころか、残務処理をしなければ、という思いでいっぱいだった。
私はこの人の背中を見て育った。強くを挫き弱きを助け、終わればニコーっと笑う。
私は笑うと、顔が引き攣るので笑わないが、押して引くという手法は、最近真似出来出したように思う。
数日前に書いた案件の続報であるが、当等、弊社顧問先とそのお客様に、詐欺と暴力を振るう男が逮捕された。
昔の私ならこの男の家まで行き、その場でケリをつけたと思う。
物事を解決するという事は、相手の要望をキチンと叶えて、それが社会正義とならねばならない。
そう考えると以前は、怒りに任せ事を処理していた所もあり、結果トラブル処理は出来るが、時に暴言を吐き、敵が多かった。
今回は一年かけ、証拠を押さえ徹底した緘口令を引き、関わる人数をコンサルタント先、被害者、私だけで動いた。
あくまでも冷静に相手の要望を聞き、叶える。法律は勿論、儒教の精神も取り入れ、冷静に物を処理した。
その結果、この男は逮捕されたのだが女性に暴力を振るったり、国から支給されるお金を詐取してるのだが、どうも警察は簡単な罪名のみで処理しようとしているようだ。
私の育ての親は、警察の警部であろうが署内で呼び捨てにしていたが、当時呼び捨てされていた刑事さんとも私は交流がある。
「マッチャンはよか男やったねえ、ヤナちゃん。あんた、一生マッチャンの分も生きていかないけんばい」。
そういうこの元刑事さんは、70歳を超えるが、今でも友人としてお付き合いしてくれる。
こういうのは死んだ育ての親が残してくれた遺産だと思う。
この人ならどう処理してただろう?と考えてた時期もあったが、亡くなった人に物事をきけない。
考えても仕方ないことは忘れなさい、という思想学者の有名な言葉を受け、考える事をやめた。
私は今後もこうした悪い者は、正当だが私しか閃かない手法で退治していきたい。
障がい者で、しかも女性を殴り虐め、お金を騙し取る。こういうのは人間の屑である。苦労を知らぬとこういう大人になる。
私の目の黒いうちは、法律と育ての親の生き様を頭に入れ、どういう解決策が人の為になるか。
こういう思考を第一において、今後も人の出来ない、弱者を助ける活動を行いたい。
その背中を見てうちの子供や青少年が、何をどう感じ取るか。
それが今の私の生きがいと夢でもある。
こんなバカが、1人位北九州にもいてもいいと思う。屑はバカな私が成敗する。
自分が信じた道を歩む。こんな人生が過ごせ、本当に幸せだと思いつつ、クライアントから何度もお礼を言われた昨日は、いつもより更に嬉しかった。
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