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「○○」で自信?教師と母のすれ違う「自信」。
【雑談以上相談未満 困ってなくても相談できる】フリーの社会福祉士(2001年開業)柳田明子です。
不登校のお子さんの母(以下、おかあさん)から聴いた話です。
おかあさんが学校の先生(以下、G先生)と面談をしました(以下、内容を一部加工しています)。
おかあさんはG先生に、
「子どもには自信を持ってほしいんです」
と伝えました。
わが子に自信を持って過ごしてほしい。
わが子に自信を持って語ってほしい。
わが子に自信を持って笑ってほしい。
・・・そんな気持ちです。
「本当にそうですね」とG先生は言いました。
分かりあえた!と一瞬おかあさんは思いましたが、
「だから…」
と続いたその後のG先生の言葉でそれはくつがえることとなりました。
G先生のおっしゃることには、
「本当にそうですね。だから私は、子どもたちに漢字や計算の力をつけさせたいんです。ドリルで自信をつけさせたいんです」
だそうで。
ドリルで自信⁉
「計ド」とか「漢ド」と略される、あの計算ドリル・漢字ドリルのことですね?
・・・ちょっと違う。何かが違う。何が違う?
おかあさんの言っている「自信」とはずいぶん奥行きも重みも異なっています。
もちろん計算も漢字も出来ないよりは出来たほうが「自信」となるのでしょう。それがその子の「自信」となって次へのステップとなることも確かにあるでしょう。
だけど、それらができなくとも、もはや人工知能やネットを使えばなんら困ることはない世の中です。
というよりも。
根本的なところですれ違ってます。
お子さんは、そういう学校の画一的な価値観に違和感を感じているからこそ「不登校」という選択に至っているのでは?
おかあさんが言わんとしている「自信」は、そういうドリルなどで「つけさせられる」自信じゃなくて、
【生きていて良いのだという自信】
でしょう。自分は存在して良いのだという自信です。
広いこの地球のどこかで。社会のどこかで。学校という限られた場所じゃなくても。
自分に対する絶対的な信頼感。
将来の自分に対する期待感。
今の自分に対する安心感。
おかあさんの言っている自信とはそういうこと。
ですが、G先生にそれは伝わらず、すれ違って、食い違って、分かり合えない面談となったそうです。
私は「G先生」個人に物申したいのではありません。学校を批判するつもりもありません。
学校の先生方が一生懸命に子どもたちと関わってくださっていることは知っています。ご多忙なことも分かります。教育現場が大変なことも承知しているつもりです。
そのうえで、これまでの学校の価値観だけでは「難しい」ことが多くあり、その「難しい」のひとつである「不登校」を「解決」(子ども本人にとってのベストを選択)するためには、いろんな考え方や立場の人たちとともに取り組むことが必要だと考えます。子ども自身はもちろん、地域の人、不登校の子の保護者、不登校経験者、フリースペース・フリースクールに関わる人たち、学習塾、習い事、その他関係専門機関などなどの連携です。
それらをつなぐ役目を担うのがスクールソーシャルワーカー(や地域で活動している社会福祉士)ですね。
(ちなみに。上記の「おかあさん」は「スクールソーシャルワーカーという人には会ったことがないし話したこともない」そうなんです。大阪じゃない他県の話なので、その自治体のスクールソーシャルワーカー事情はよく分かりません…。)
【学校教育のプロ】と【それ以外のその道の(「職業として」という意味だけではない)プロ・ベテラン】がタッグを組んでお互いの想いを交わせば、その化学反応は子どもたちにとっていっそう健やかなパワーをもたらすと思っています。
「指導」という上下の関係だけではなく、横や斜めの関わりが豊かに紡がれる中で、子どもたちがのびのびと大人になった自分を描けますように。
本日は以上です。
今日も気持ちの良い一日を!
柳田明子社会福祉士事務所〰聴く・伝える・ともに考える〰(2001年開業)
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