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「居場所と出番」を用意するザ・サードプレイスの話

ティーンズを支援するソーシャル活動の様々な分野で、昔から「居場所づくり」は大事な活動と考えられており、昨今は「ユースクリニック」の設置を志す取り組みも増えているように感じます。私自身も、渋谷の街なかに「相談と検査ができる街の保健室」を出店する事業に携わったことがあります。こうしたドロップインセンター型の事業はどういうものにしていけばいいのか、別に書いた「居場所と出番」が大事という記事も参考にしつつ、持論をまとめてみました。

※この記事は若者向けの「放課後の居場所」づくりの事業を念頭に置いてまとめています。

放課後の居場所のことをどう考えているか

本題に入る前に、「放課後の居場所」をどう捉えているのか書いておきたいと思います。

放課後の居場所のことは「ザ・サードプレイス」と捉えています。家と学校以外の人間関係を得られる第3の居場所ということです。

学校を卒業するまでは、多くの人にとって、家が生活のベースになります。朝、家で目覚めて学校に行って、学校が終わるとまた家に帰る。家と学校のふたつしか居場所がない場合、家か学校のどちらかで人間関係がうまくいかなくなると、けっこうしんどいものがあります。ザ・サードプレイスとのつながりがあれば、家や学校で少々の人間関係のうまくいかなさがあっても、乗り越えていくことができそうです。

だから、家と学校以外の人間関係を結べるザ・サードプレイスはとても大事なんじゃないかと思います。そしてこのザ・サードプレイスとのつながりは「ザ・サードプレイスその1」「ザ・サードプレイスその2」のような感じで、人間関係が重ならない複数のつながりがあるとより効果的であると思います。

こういうつながりは、ティーンズだけでなく、大人にとっても必要なものであると思っており、今は大人を対象とした「家でも職場でもない、大人のための第3の居場所」をつくるザ・サードプレイス事業にも取り組もうとしています。

居場所も出番も用意できるザ・サードプレイスを目指す

「居場所と出番」が大事という記事にも書きましたが、人間には居場所だけでなく出番も大事なんだろうと思っています。なので、「居場所」づくりは今後、「居場所と出番」づくりになっていくのが望ましい方向性ではないかと考えています。

居場所をつくる

放課後の居場所づくりは、「よく来てくれたね」「今まで頑張ってくれてありがとう」「とにかく生きていてくれてよかったよ」と無条件に迎え入れ、いつでも戻ってこられる場所を作ることが大事です。

「ここにいていいんだ」と本人が自然に感じられる場所がその人にとっての「居場所」です。本人にとっての居心地を考えず「ここがあなたの居場所ですよ」と押し付けるブロイラー的支援をやっていないか、いつも気にしておきたいと自戒しています。

そういう居場所をつくるためには、その場所にいる人との人間関係が、安心安全で心地よいものであるかどうかが重要です。居場所づくりの事業をやるなら、事業運営に当たるスタッフとの人間関係の良し悪しが問われるというわけです(この話が、以前書いた「アティチュードの重要さ」みたいなところにむすびついていきます)。

出番をつくる

ここにいていいと思える安心安全な場所に慣れてくると、「誰かの役に立ちたい」と人は思うようで、こう思う段階にくると、誰かの役に立つ機会(=出番)が無いことでかえって「ここにいていいのかな…」と思うこともあるようです。

そういった背景から、居場所づくりのなかでちょっとした出番づくりもできるといいと思います。その施設の清掃やセッティングを手伝ってもらうなど、ちょっとしたことでもいいと思います。「これをここに運んでもらっていい?」「これをこういうふうにしてくれるかな?」といった関わりが持てると、本人をさらにエンパワーすることになるように思います。

関係性を固定しない

施設型の居場所づくりの事業においては、どうしても援助者(≒施設の運営者)と被援助者(≒施設の利用者)といった関係性が出来上がります。「事業」という観点で考えた時には大きな意味ではその関係性を保ち続けないといけないわけですが、「体験」という観点で考えた時には少し違うものが見えてくるかもしれません。

助ける人はいつも助ける人、助けてもらう人はいつも助けてもらう人、という関係性が固定化するよりも、助けてもらう人も時にはいつも助けてくれる人を助ける側に回る、他の困っている人を助ける側に回るということができるといいと思うんです。居場所づくりの事業で設置する「放課後の居場所」が、そういう流動的な関係性が自然と発生する場になると(そうなるような仕掛けを色々と施すと)いいのではないでしょうか。

そういう場が出来上がると、助けてもらっていた人が元気になって助ける側に回ることになり、助ける側に回るということは、居場所づくりのゴールのひとつである「自立を促す」ことが達成できるということです。

自立を促すことが達成できれば、自分の足で立って自分のコミュニティに帰っていけます。それを喜んで送り出せばいいのですし、その時に「またいつでもおいで」と一言いえれば、その本人にはすごくいい未来が待っている気がします。

そういうことができる施設をつくれるかどうかの分かれ目は、施設を運営しているスタッフ=援助者のアティチュードが鍵になるんじゃないでしょうか。


自分の生まれついた在り方が生きづらさの理由になるのではなく、誰もが「自分は自分に生まれてよかった」と思える世界をビジョン(実現したい世界像)に掲げる「性の健康イニシアティブ」の立ち上げ人/代表です。ビジョンに共感してくださる方はリアクションお願いします。