天使の微笑み
なぎさ先輩、好きです。
そう言って笑ってくれる彼女は、まるで天使のようだと思う。白衣の天使、なんて馬鹿馬鹿しい、実際の現場は壮絶なんだから。そんな風に感じていたはずなのに、かおりに限ってはほんと、その言葉がぴったり当てはまる。
あんなにひどいことをしたのに、あっさり許してくれたどころか、あたしが高校のときからずっと夢見てきた言葉を笑って口にしてくれる。だからかな。だからこそ、だよね。
時々、すごく怖くなる。こんなに幸せで、夢みたいで。罰があたるんじゃないかって。
「なぎさ先輩?どうしたんですか?」「…あ」
はた、と意識が浮上して顔をあげる。目の前に散乱したビールの缶やらお菓子の袋、いつものかおりの部屋だ。
そうだった、久しぶりに飲みたいと騒いだのはあたしだったのに、なんでかな今日は、全然酔えない。
「あ、あははー、ごめんごめん!ぼーっとしちゃった」
笑ってごまかして、手に持ったまんまだったビールをあおる。少しぬるくなった液体がやけに苦く感じて、思わず咳き込んだ。慌てて背中をさすってくれるかおりの手は、いつもあったかいなと思う。
「な、なぎさ先輩!?大丈夫ですか?」
「げほっげほ! …だ、だいじょーぶだいじょーぶ! 飲みすぎちゃったかなー」
はは、と笑ってみせるとかおりは更に心配そうな顔をした。あたしの手からビールを奪うと、それを机に置いてからそっと抱きしめられる。優しく頭を撫でられて、何故だか胸が締め付けられる。
かおりはいつも、あたしを甘やかして、どこまでも優しい。だから怖くなる。ほんとはどう思ってるの、って聞きたくなる。ばかだよね、あたしと違ってかおりは、いつもまっすぐだってわかっているのに。
「…なぎさ先輩?」
「…んー?」
「また、余計なこと考えてませんか?」
ぎょっとしてかおりの方を伺おうとすると、少し身体を離して、かおりはあたしの瞳を覗き込むようにしながら仕方ないなぁって顔で微笑んでいる。
「な、なんで…」
「えへへ。なぎさ先輩の顔みてればわかりますー」
「あんた、いつからそんなに鋭くなったのよ?」
「だって、なぎさ先輩のことですから」
いつも見てれば、わかるんです。
優しく微笑んだまま、またあたしのことを抱きしめてくれる。
ふいに泣きそうになって、いろんな感情で胸がくるしく感じる。どうしてだろう、幸せなら幸せと、ただそう思えればいいのに。どうしてこんなに、余計なことばっかり。やっぱりあたしが、素直じゃないからいけないのかな。それとも。もしかして、もう罰が当たってる? あたし、かおりのそばに居たら、いけないの?
「かおり、あたし…」
「なぎさ先輩」
ふふ、と耳元でかおりが笑う気配がする。
「わたし、なぎさ先輩がすぐに不安になっちゃうの、知ってるんです」「え……?」
「かっこよくて、仕事もできて……尊敬できる人でもあるけれど、実は弱い一面もちゃんとあるんだって、百合ヶ丘にきて気が付いたんです」
身体を離して、あたしと目と目を合わせたかおりは、少し照れたように笑って言葉を続ける。
「わたし、いつもなぎさ先輩に頼りっぱなしで……それがすごく情けないなあって。だけど、なぎさ先輩と恋人になれて、甘えてもらえるようになって。ほんとに、嬉しいんですよ?」
「かおり…」
「だからね、わたしにできることがあったら言ってほしいの。前から言おうと思ってたんですけど、なぎさ先輩が思ってるよりわたし」
なぎさ先輩のこと、好きなんですよ?
そう言って微笑んだ彼女は、やっぱり天使だと思う。いつだって、ちょっとした一言であたしの心を軽くしてしまう。
「か、かおりのくせに生意気だぞぅ!もー!」
「えー、嬉しいくせにー!」
「んまっ、なーによその上から目線はー!」
くすくすと笑い合っていると、不意に目元に口づけをされた。不思議に思ってかおりを見ると、ふわりと頭を撫でられる。
「わたし、なぎさ先輩のそういうとこ。愛しいって思います」
ぽた、と手の甲におちる雫の感触。自分が泣いてることに気が付くのには少し時間がかかった。
ああ、あたしはかおりの先輩なのに、なんだか情けないところばっかり見せてるなあ。だけど不思議と、悔しいとは思わなかった。むしろ、さっきまでくるしかったはずの胸が暖かいもので満たされて、どうしてあんなに悲しかったのかも忘れてしまいそうになる。
「かおり?」
「なんですか?」
「あたし、かおりがいなきゃダメみたい」
涙を拭って、たまには素直になってみる。情けないことしか言えないけど、これがあたしの本音。高校のときからずっと、ずっと、一人が耐えられなかったのはあたしの方。
「…わたしもです」
若干涙目になっているかおりは、少し顔を赤らめながらあたしを見る。
「わたしのほうこそ、なぎさ先輩がいないとダメなんです。……ね、だから……もっと近くにきてください」
大胆な発言に、思わず笑ってしまった。かおり、なにそれ。誘ってんの? いつもならそう言ってからかうところだけど、今回ばかりはあたしのほうにも余裕がない。嬉しくて、恋しくて、早くかおりに触れたくなる。
「かおり…」
「なぎさ、先輩」
ああ、あたし。
この子を好きになって、ほんと、幸せ者だったのね。
「大好き、かおり」
ありがとう。そう言ったあたしに、かおりはいつもの微笑みをくれた。
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