broken heart

 

 時に怒ったように。焦れたように。かと思えば優しく。 アメリア、と呼ぶ声を聴く度に不整脈を起こす私の心臓は、きっとおかしくなってしまったのだ。
 

 

 この数ヶ月で随分いろんなことが変わったと思う。ゼルガディスさんとの距離が前より少しだけ離れたぶん、余計なことを考えず彼と一緒にいられるようになった。ガウリィさんの天然さが羨ましくて、溜め息の数が少しだけ増えた。リナさんと彼の夫婦漫才とも言えるそれを見る度に、私の壊れた心臓がぎゅうっと縮み上がるように、なった。

「アメリア」

 ああ、まただ。そう思ってぎゅ、と道衣の上から心臓の辺りを押さえる。
 もういっそ呼ばないでほしいと思った。なんの意味もない、不毛な気持ちを何故抱いてしまったのか。頭の回転が早く、敏い彼女にはもう気付かれてしまっているのではないだるかと思う。それくらい、ここ数日のわたしは、誰の目から見ても。焦がれている。

「リナさん、どうしたんです?」

 部屋を別にするほどの資金の余裕はなく、リナさんとわたし、ガウリィさんとゼルガディスさんで一室ずつだ。正直そのことだって悩みの種になっているというのに、今日に限ってリナさんは夜更かしだから困る。二段に別れたベッドの上から、ぎしりと寝返りを打つ音がした。

「あんたさぁ……なんか言いたいことあんでしょ」
「……何がです?」
「それでとぼけてるつもりなわけ?」

 バレバレなのよ、と嘆息されて思わず苦笑してしまう。ただでさえ顔に出るタイプのわたしが、よりによってリナさんを相手に嘘を吐いたところで無駄だった。そんなことはとうにわかってはいて、それでもそうするしかない。旅を続けられなくなるよりはずっとマシだと、思う。

「まぁ、あんたが言いたくないってーなら無理には聞かないであげてもいいわ。でも、なーんか言いたげにされてると気になんのよ、こっちだって」
「……すみません、リナさん。心配かけちゃいました?」
「別に、心配とかじゃないわよ。あたしが気になんの」

 それを心配って言うんですよ、なんて口には出さずに喉の奥で笑う。彼女は聡明で、芯の強い女性だ。普段は薄情な発言ばっかりしてるけれど、わたしたち仲間はみんな知ってる。本当は誰より、情にもろく優しさを持った人だということを。

「リナさん」
「なによ」
「じゃあ、一つだけ。お願い聞いてもらってもいいですか?」
「……内容による」

 ふふ、と今度こそ外に漏れてしまった笑みを聞き咎めて「あんた、もしやからかってんじゃないでしょーね」と文句が降ってきた。そんなやりとりが嬉しくて、翌朝にはまた現実に戻されるというのに流れに甘えてしまいたくなる。
 リナさん、と何度か呼びかければ面倒くさそうな返事のあとひょっこりと彼女が顔を出した。その朱色の瞳の奥に、微かな気遣いの色が見え隠れしている。

「一緒に寝てください」
「……は?」
「添い寝ですよう。簡単でしょう?」
「却下」
「え、ええー! お願い聞いてくれるって言ったじゃないですかあ!」
「ちょっと待てい! 内容によるってちゃんと言ったでしょーが。事実を都合よく捻じ曲げない!」

 そう言ったきり、彼女は再び寝床に戻ってしまう。わたしはわざとらしく溜め息を吐き出して、これまた大仰に嘆いた。

「あーあ。一人で寝るの寂しいなあー。誰か一緒に寝てくれたら寂しくないかもしれないのに、ここにはそんな人もいないんですね……。ああ、可哀想な傷心のわたし! 頑張るのよアメリア! 未来はきっと明るいわ!」
「だぁーっ! うるさい! 眠れんでしょーが!」

 がばっと布団を跳ね除ける音がしたかと思えば、次の瞬間にはリナさんが下に降りてきてわたしを睨みつける。狙い通りとはいえ、本当に来てくれるとは思ってなかったわたしはぱちぱちと目を瞬いて沈黙した。

「……なによ。どーしてもって言うんなら、今日だけ、一緒に寝てあげてやってもいいわ」
「わー、すごい上から目線。リナさんのそういうとこ、尊敬します」
「……アメリア?」

 反射的に口から出て行った軽口にはさすがにリナさんの額に青筋が浮かんだのを見逃さず、わたしは乾いた笑いを浮かべながらささっと布団をめくった。どうぞ、と言わんばかりの行動にリナさんは目線を彷徨わせた後、一拍置いておとなしく入ってくる。
 役得な展開のはずが、妙に手足が汗ばんでしまって少しだけリナさんと間を空けて向き合う。目が合うと、ふ、と彼女が優しく微笑んだ。珍しいな、なんてどこか冷静な頭の片隅で思う。

「それにしても、寂しいだなんてあんたもまだ子どもねぇ」
「む。リナさんに言われたくありませんー」
「あたしは一人で眠れますから」
「わたしだってそうですよ。リナさんだから一緒に寝たかっただけで」
「へ?」
「はい?」

 一瞬の逡巡のあと、自分がやらかしてしまったことに気がついて一気に心拍数が上がった。なんとか誤魔化そうとして口を開いても、動揺したあたしからは「あの、そのですねぇ、今のは」なんて要領を得ない言葉しか滑り落ちてこない。やがて言葉を失って、恐る恐るリナさんの表情を伺えば彼女は不思議そうにわたしの様子を眺めていた。心に刺さるから、その目はやめてくださいと言ってやりたい。

「……アメリア」
「……なんですか」
「あんた、本当にあたしが好きなのねー」

 まぁこの天才美少女魔導士リナちゃんに惚れるのも仕方ないわね、なんてからからと笑う彼女にどっと脱力。戦闘となるとこちらが驚くくらいの賢さで敵を圧倒するくせに、どうして色恋沙汰となるとこんなに疎いのか。これじゃあ保護者たる彼も、相当に苦労するわねと心の内で同情した。

「……そうですよ」
「んー?」

 それならばこちらにも考えがある、というものだ。
 どうせリナさんが気付いてくれないのなら、そばにいることを許してほしい。共に笑い、戦い、同じ時を生きて彼女の心の中に住むことを許してほしい。

「わたしは、リナさんが大好きなんです」

 こうして、冗談の皮を被ってでもわたしの気持ちを伝えることを、許してほしいと思った。

「……あっそ」
「あ、リナさんもしかして、照れました?」
「そっ……んなわけないでしょーが! ったく……もう寝るわよ。おやすみ!」

 素っ気なく言い放って背中を向けてしまった彼女に、思わず苦笑を零してしまう。暗く絞ったライティングの明かりではリナさんの本心までは伺い知れなかったけれど、髪の隙間から覗く耳が心なしか赤らんで見えた。本音は伝わらずとも、無意味ではなかったといったところかなと心の中でガッツポーズを決めておく。してやったりですよ、リナさん。

「あたしもよ」
「え、は、はい?」

 ああ緊張したと一息ついていたところに突然声をかけられて、頭がついていかなかった。素っ頓狂な声をあげてしまったあとに、何がですか、と問えば焦れたような声が部屋に響く。

「だから、あーたーしーもっつってんのよ! あんたも、ガウリィもゼルも。……仲間でしょ」

 そこまで言われて、ようやく「あたしも」の意味を理解する。それはほんの少しの絶望と、甘やかさを含む希望を同時にもたらす、ずるい言葉だと思った。だけどそれがリナさんであり、そんな彼女だから、わたしは。リナさんの背中に手を伸ばしかけて、きゅ、と拳を握り込む。そうですね、と静かに声をかければ「そーよ」と鷹揚に返ってきた。

「リナさん」
「なによ」

 もう寝るなんて言っていた割に、こうして無駄話に付き合ってくれる。それもリナさんらしいなと思うと、面白くなってくるから不思議だ。わたしを夜の闇に突き落とし、そこから軽々と引き上げ照らしてくれるのが彼女だとしたら。一国の王女がこんな有り様だなんて、あの父には言えないなと苦々しい感情が広がる。わたしだけじゃなく仲間たちまでとことん振り回されているなと思うのに、どうしても憎めないのがリナさんの魅力なのだろう。

「おやすみなさい」
「……おやすみ。アメリア」

 アメリア、と響くその声が好きです。それが言えたなら、わたしの旅は終わるのかもしれないと思った。だから、逸る心臓の音にどうか気が付かないで欲しいと思う。気が付いてしまったならどうか、わたしを置いていかないでと思う。そばにいるだけの幸せがあるとするなら、それをわたしに教えてくれるのはあなただけだから。
 いつもよりも少しだけ暖かく感じる寝床で、そっと目を瞑る。絶望と希望の狭間で、夜に溶けていくわたしたち。そんな夢を、見たいと思った。



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