「花器」について
「花器」とは花を生ける器のことを指すようです。花瓶とどう違うのであろうか、たぶん生け花に使うものを花器と呼ぶのかも知れない。平たくて中に剣山を置いて、花を生ける感じだ。剣山は昔はどこの家にもあったが、最近はあまり見かけなくなった気がする。
花瓶は花器ほど堅苦しくなく、花入れのような感じだろうか。茶室なんかで、飴色に使い込まれた竹の小さな花入れに椿を一輪挿して、床の間の壁に掛けたりすると、わびさびの趣があって良いような良い感じだ。
床の間の床に置く場合は、備前焼の焼き物が似合いそうだ。
生け花といえば、中川幸夫のことを思い出す。生け花界・華道界のテロリストといわれた生け花作家だ。幼少の頃の病気のため、脊椎カリエスを患い、身長は小さかったが、その生け花はスケールが大きかった。
戦後は生け花界でも、反家元運動のようなものがあり、本家本元の池坊に対して、草月流の勅使河原蒼風や小原流などの新興勢力が活躍した時期があった。今でも流派としては300近くはあると言われている。
元々は池坊に所属してた中川幸夫であるが、白菜をただ置いただけの「ブルース」という作品を池坊が展示拒否?したため、中川幸夫は池坊に脱退届をたたきつけ孤高の道を歩み始めた。その辺の話は早坂暁の「華日記」に詳しく描かれている。
下記は「ブルース」
これが生け花か!華道界のマルセル・デュシャンか!華道、生け花という固定観念に対する挑戦状みたいだ。
この中川幸夫の代表作が表題右の写真の「花坊主」(1973)である。これはガラスの器に約900本のカーネーションの花弁を入れ腐乱させたもの。
これを逆さまにして和紙の上に置いたものである。花弁から染み出る赤い色素が和紙を赤く濡らして行く。これは、なんというか、エロチックでもあり、花が花ではなく別物に変異しているようにも思える。これは、生け花の領域を超え、芸術の域に達していると言えるのではないだろうか。
そんな中川幸夫の周りには、土門拳、滝口修造、大野一雄、荒木経惟、川久保玲など、垣根を超えた人脈が形成されます。
「花坊主」のガラスの器も「花器」であるとすると、花器とは花を生ける器というよりも、花と心中する器のように思えてくる。
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