メディアの話その134 歴史の捏造は「順番」の無視から始まる。ホロドモールとソ連とナチスとウクライナと大躍進とルイセンコと。

『スターリンのジェノサイド』(みすず書房)のことを、知っておきたい。
 深津 晋一郎 さんの2012年11月3日の書評。
 今回の戦争を知るための本、HONZがとても早くから取り上げていた。

https://honz.jp/articles/-/18210

本書を読んでよくわかること。

それは、歴史に関して、世の中の理解を妨げるもの、トンデモな話を広げる原因が何か、ということである。

「歴史」に対する、いちばんやっちゃいけない「間違い」あるいは「捏造」とは何か。

嘘をつくこと?

それはもちろんダメである。

しかし、嘘をつかなくても、嘘以上にやばいことがある。

それは「順番」、つまり「時間軸」を明示しない、ということにある。

歴史の史実の順番をごちゃごちゃにするだけで、実は内容の記述で嘘を
つく以上に、やっかいな嘘と間違った物語が蔓延するのだ。

ソ連のスターリンは、世界有数の肥沃な穀倉地帯のウクライナの人々を餓死させた。有名なホロドモールのことである。

それが起きたのは、いつか。

1932年から1933年にかけて、である。

集団農場=コルホーズ。五カ年計画。マルクス主義に則った「理想」的農業と、スターリンの政治が、ウクライナの人々から農作物を奪い、食べ物を奪った。
多くの人たちが餓死した。

数百万人とも1400万人ともいわれる人々が、死んだ。人口の10%とも、
それ以上ともいわれる数だ。

ところが、ソ連は、この悲惨な餓死を一顧だにしなかった。
むしろ、逆である。ルイセンコの台頭だ。
「獲得形質は遺伝する」「作物も理想的な方法で育てると一代で進化してよりよい作物になる」とダーウィン進化論とメンデル遺伝学を否定した、皮肉にも
ウクライナ出身の農学者ルイセンコが、スターリンの覚え愛たく、ソ連の良心的科学者農学者を排除して、レーニン全ソ連農業科学アカデミーの長として君臨したのである。

ルイセンコの台頭は、ウクライナの人々たちが農業政策のせいで餓死した時期と重なる。

ルイセンコは、大飢饉からソ連を救う救世主として、ソ連の科学と農業を席巻する。トンデモなのに。

以上は1930年代の話である。

ウクライナはソ連のスターリンの共産主義の理想に燃えた農業政策により、人口の多くを餓死で失うとてつもない酷い目に遭わされた。

本書の記す通り「ジェノサイド」である。

何がいいたいか、というと、スターリンによるウクライナに対するジェノサイドは、ドイツとソ連が戦う前の話、なのである。

さらにいえば、ヒットラーが台頭し、ナチスドイツがユダヤ人をジェノサイドした「ホロコースト」より、前の話、なのである。

ホロコーストが行われたのはいつか。

1941年から44年にかけてである。

ソ連のスターリンがウクライナの人々をジェノサイドしたほうが、ヒットラーのナチスドイツがユダヤの人々をホロコーストしたよりも10年前後も先、なのだ。

しかも、そのジェノサイドの規模はあのホロコーストを上回っている可能性もある。

また、ドイツとソ連が戦った独ソ戦も、ナチスのジェノサイドとほぼ同じ時期、1941年から45年にかけてである。

ウクライナの人々から、歴史を順番に見直してみる。

1930年代前半、ウクライナを襲ったのは、ソ連のスターリンによる、非科学的で非人間的な農業政策による、自国民の大量虐殺だった。餓死者が道に溢れた。

ところが、この状況は改善されず、ソ連はトンデモ学者ルイセンコを徴用し、
さらなるトンデモ農業を展開した。

そのあと1941年に進軍してきたのがナチス・ドイツである。
ソ連に酷い目にあわされたウクライナにとって、ドイツは当初ソ連から「解放」してくれる存在に見えた。

実際にはもちろん違う。ウクライナはソ連の一部として独ソ戦を戦い、国土はすさまじい戦火に見舞われる。このときウクライナでは、ホロドモール以上の人口の
15%前後が亡くなったともいわれている。しかも、ソ連からの弾圧も受けていた。

最終的にドイツは戦敗国となり、ヒットラーは自殺し、ソ連は戦勝国となり、国連の常任理事国になった。

すると戦勝国であるソ連のスターリンが重用した、マルクスの弁証法的唯物論を具現化したとされるルイセンコのトンデモ農法は、やはり常任理事国となった毛沢東の中国に「輸出」された。そして、1950年代に「大躍進政策」の農業に起用された。結果は、ホロドモール以上の犠牲者が出た。その数、数千万人単位である。

ロシアに楯突くウクライナはネオナチだ、という論法がある。
独ソ戦の冒頭で、ナチスドイツにウクライナが転びそうになったから、というのが源流にある、という説を唱える人もいる。

でも、その説に欠けているのは、ドイツ進軍の10年前に、すでにウクライナでは大量の餓死者を出た。ジェノサイドを行ったのは、ソ連=スターリンだったのだ。

さらにいえば、1941年時点で、ナチスドイツのユダヤ人に対するホロコーストはまだつまびらかになっていない。判断できるタイミングではそもそもない。

このように、歴史の順番をソ連とウクライナとドイツに関して概観してみると、ヒットラーのナチスドイツより、スターリンの共産主義ソ連が、ジェノサイドについても、先に行っていたわけである。

この順番を間違えてはいけないし、また虐殺の規模をきっちり見据えないとダメである。

ただし、実際はそうなっていない。

そもそも、私の記憶では、スターリンのソ連のウクライナと自国民を餓死させた非道、あるいは毛沢東の中国の大躍進政策での数千万人が亡くなった話は、高校までの歴史の授業できっちり教わった記憶がない。1980年代前半のことである。

ホロドモールも大躍進もすでに歴史的事実として多数の論文も書籍も報道もある。
ウェブをググればいくらで情報が出てくる。ウクライナには、ホロドモールの記念館もある。つまり、歴史的常識、であるべき事実である。ナチスドイツのホロコースト同様。

でも、私の一般常識では、そうなっていない。学校教育で教わらなかったからである。ヒットラーのホロコーストは小学生の頃から知っている。
学校で習うだけではなく「アンネの日記」を読み、テレビ洋画劇場で「チャップリンの独裁者」や「マックイーンの大脱走」をみていたからだ。

ナチスをモチーフにすれば全て敵役だった。仮面ライダーのショッカーも宇宙戦艦ヤマトのガミラスも機動戦士ガンダムのジオン公国も。

おそらく、2022年のいまも、ナチスドイツのホロコーストに比べると、歴史の先生が意図しない限り、スターリンによるウクライナのホロドモールも、毛沢東の大躍進も高校までの学校では「さらっと」あるいは「まったく」教えられていない可能性がある。

こちらの論文にその詳細がある。
「大躍進と日本人「知中派」 ― 論壇における訪中者・中国研究者

村 上 衛さんの論文だ。
https://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~rcmcc/maozedong-paper/08_murakami.pdf

日本で採択数の最も多い高校世界史の教科書では、大躍進については以下のように記述 されている。

ーーーー中国は、1950 年代前半に戦前の農工業生産額をこえたが、やがて強引な工業化・農 業集団化政策や共産党支配への批判があらわれた。毛沢東は批判勢力に反撃し、急激 な社会主義建設をめざす「大躍進」運動を指示して、農村での人民公社設立をすすめ た。しかし、性急な大規模集団化や専門技術の軽視の結果、農業生産の急減などによ り餓死者が発生したため失敗した。59 年には毛沢東にかわって劉少奇が国家主席とな り、計画経済を見直した(4)。

これは事実経過としては誤っているわけではないが、厳密には 1959 年 4 月に劉少奇が国 家主席となった後にも毛沢東は実権を握っていたから、1962 年初頭まで大躍進は止まらな かった。彭徳懐が批判された廬山会議が開催されたのは 1959 年の 7–8 月であり、飢饉によ る犠牲者が最大になったのは 1960 年であった。そして具体的な数値も挙げられていないた めに、大躍進の被害の大きさを認識することはできない。

後述するような研究の進展にともない、大躍進では 3,000–4,500 万人の死者が生じたと考 えられている。これは推定で 110–160 万人の死者を出した文革をはるかに上回る(5)。世界 史的には、1,600 万人といわれる第一次世界大戦の犠牲者の 2–3 倍に達し、第二次世界大戦 を除けば、20 世紀で最も多くの犠牲者を出した事件である。中国史上でいえば、数千万人 の死者を出した 19 世紀中葉の動乱・飢饉に次ぐ出来事であるが(6)、大躍進の場合、主とし て 3 年間に生じた犠牲者であるから、1 年あたりの犠牲者数はそれを上回る。したがって、 中国史上においても空前の被害をもたらした出来事といえる。(以上、上記論文より)

ホロドモールと大躍進、2つのジェノサイドは、ナチスのホロコーストと異なり、私たちの間で一般「常識」化していない。
だから、自分たちが認識している、歴史の順番のなかにも入ってこない。

当然、いま起きている事情に対しても、明らかにミスリーディングな見立てをする恐れがある。

そういうことである。

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