メディアの話その137 コロナ禍と戦争と原始人とエスパーとウクライナと世界がだれでもマスメディアでつながるとき
私たちは、いまとても奇妙な状態に生きている。
体は原始時代。心はエスパー時代。
コロナ禍とITがそんな奇妙な状態を生み出した。
コロナ禍で、私たちは基本的に動かなくなった。動けなくなった。海外旅行はもちろん、通勤通学すらままならなくなった。
これはつまり原始時代の行動パターン、百五十人の村の時代に戻った、ということになる。飛行機はもちろん自動車すら存在しない時代。自宅から徒歩圏内で暮らす世界。コロナ禍は私たちの体を「原始時代」の生活に引き戻した。
ところが、その一方で、インターネットサービスが桁違いに発達していた。
その発達を、「体は原始時代」の私たちは享受した。
いながらにして、世界中のだれとでもつながれる。世界の言語を瞬時に自分の言語に翻訳できる。あらゆるエンタテインメントを洞穴=自室にいながら味わえる。それどころか、職場も学校も居酒屋も自室に現れる。
私たちはどこでもドアを持ったドラえもんになり、人の心を読める七瀬=エスパーになった。
ただし、体は動いていない。心だけが未来へ飛んだ。エスパーになった。
ごくごく個人的に思う。
今回のロシアによるウクライナ戦争。これは、コロナ禍出なければ実際に起きなかったのではないか。
コロナ禍で人々が自国に閉じこもる。あらゆる国の人々が鎖国状態になる。それが2020年からの世界だ。世界は鎖国し、世界は大航海時代以前の、人々が地域に止まった状態になった。
コロナ禍でなければ、ロシアにもウクライナにもたくさんの海外の人々が行き交っているはずである。なにせそれまでは平和な先進国だったわけである。あらゆる世界企業が進出し、サービスを展開し、旅行者にあふれていたわけである。
そんな状態のオープンな、グローバルな状態の国に、他国が侵略して、爆撃できるか?
絶対に無理である。
コロナ禍という、ある意味で自然災害がこのウクライナ侵攻をもたらしたひとつの大きな環境要因。そんな気がする。
さて、そんな誰でもマスメディア、だれでもエスパー時代のウクライナに関するメモを残しておく。
BBCやニューヨークタイムズが2021年3月7日に報じたニュース。ウクライナの一般市民、お母さんと二人の子供、そして知人の男性がロシアの砲撃によって殺害された。記事や映像でご覧になった方も多いだろう。
ショッキングな内容なので、あらかじめお断りしておく。
ーーー上記の記事より
ウクライナの首都キーウ(キエフ)から北西約20キロに位置するイルピンの町では、ロシア軍の空爆と砲撃によって多くの住宅やインフラが破壊された。砲撃のあった路上では、避難しようとしていた家族3人と同行していた知人男性が死亡した。
ロシアによるウクライナ侵攻---ちなみに欧米のメディアの多くでは、ウクライナ戦争とはっきり記している。
BBCの報道コーナーは、はっきりWar in Ukraineと銘打っている。
今回の戦争では、ヨーロッパの一部が戦場となり、現地からの個人による映像やテキスト、SNSや動画配信などが、世界中のあらゆる個人にリアルタイムで届けられている。
2010年代の「アラブの春」では、SNSと動画配信サービスとスマートフォンによる群衆からの情報発信が大きな反響を呼んだ。
その後、あらゆる紛争と戦争では、現地にいる普通のひとたちがスマートフォンひとつで動画やテキスト、写真を配信する「だれでもジャーナリスト」「だれでもマスメディア」となった。
マスメディアが現地に行くまでの間に、瞬時に現場のひとたちがメディアになる。
一方で、こうしただれでもマスメディア状態は、真偽不明のフェイク映像や画像、テキストが容易にまきちらされる状態でもある。愉快犯から当事者同士の諜報戦にいたるまで。
今回もその例に漏れない。
桜美林大学の平和博教授のこちらの仕事が詳しい。
BBCも。
だれでもマスメディア時代には、ロシアが「人道回廊」を開いた、と発表するその現場で、一般市民が殺される状況が瞬時に世界に拡散される。
この状態の変化について、ロシアのプーチンはもちろん、さまざまな国家の当事者、政治や紛争の専門家の認識、そして私たち自身の認識がもしかすると遅れたままになっている可能性がある。
ウクライナにおいて特筆すべきは、大統領であるゼレンスキーの「だれでもマスメディア時代」のメディア人としての能力である。岡本純子さんのこちらの記事が的確だ。
それにしても、私たち日本人の戦争の常識は、たとえば第二次世界大戦で止まっている。それ以降直接戦争にかかわったことがないからだ。
日本は77年前の3月10日に米軍による東京大空襲を受けている。
1944年末から複数の空襲を受けた東京では10万人以上の一般市民が殺された。
もちろん、日本も中国大陸、南方戦線で数多くの一般市民に銃を向けている。
こうした状況がリアルタイムで世界に報じられることも、その瞬間の映像や写真が詳細に残っていることもほとんどない。世界はまだ「だれでもマスメディア時代」に突入するはるか以前だったからだ。テレビ生中継すらほぼ存在しなかった。
戦争によるさまざまな破壊や殺害は、あとからわかることであり、しかもその内容はしばしば二者の間で対立する。その間、直接の被害者となった人たちは、傷を負いながら、涙を流しながら、リアルな復興に邁進する。現在の東京がきっちり動いているのは、そんな傷を負ったひとたちの、再び立ち上がった力があったからだ。
第二次世界大戦のとき、もしインターネットやスマホやYOUTUBEやツイッターがあったら、どうなっていただろう。
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