メディアの話。人気曲というミームがコマーシャルからアニメに移ったわけ。
今のコマーシャルは替え歌と懐メロしかない。
1970年代から80年代にかけて、コマソンは歌手の登竜門であり、ヒットの源泉であった。ようつべに挙げられている多数のコマーシャル動画の数がそれを象徴している。
なぜそうなったか。
インターネットのせいである。
広告の方法論が変わった。
広告は、特定の顧客データベースに最短でアクセスすることが目的化した。
その時点でもうクリエイティブはいらない。
少なくとも関係者はそう判断した。大瀧詠一さんの曲も、糸井重里さんのコピーも、ウッディアレンも、いらない。
するとコマーシャルソングというミームも時代に適応しないといけない。
変異する。遺伝子だからだ。
かつてはアクセスすべき顧客データベースは可視化されてなかったから、「素敵な新しい曲」で人々を集める。その集まった人々が顧客データベースだ。
つまりコマーシャルソングがデータベースを作ったのだ。
テレビと一緒にこのコマーシャルソングというミームは「進化」した。
今の超大物ミュージシャンの多くがコマソンでメジャーになった。
それが、インターネット時代に顧客データベースが可視化されるとコマソンやCMはただのサブリミナルな信号になった。その方がコスパがいい。認知してくれればそれでいい。
だからすでに知っている曲を焼き直す。つまり替え歌か懐メロである。
替え歌。コマソンの大半が幼稚な替え歌に満ちてるのはローコストで耳に残すことができるから。あとは昔の名曲の再雇用。以下同。
となるとかつてコマーシャル業界に集まっていた音楽才能は、かつての生態系であるコマーシャルが生きる場所じゃなくなったので、当然住処を変える。
そうしないと、生存できないからである。
それが、アニメ主題歌だった。
adoもYOASOBIも米津玄師も。
2020年以降の、テレビ局主導から、プロダクションとネトフリアマプラ主導になり、よりそうなった。
これは映像にもテキストにもいえること。