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国道16号線の話 古代東海道は16号線だった。
古代の東海道の変遷を葛飾区のホームページが掲載している。
8世紀までの東海道は、現在の東京を通っていない。
平塚の箕輪から2つのルートに分かれる。
1つは内陸を抜けて、当時の東京の中心である府中の国府に向かう。
もう1つが16号線ルート。
相模国から葉山を抜けて、16号線の起点である横須賀・走水から16号線の反対側の起点である千葉・富津に船で渡り、現在の16号線の千葉側のルートである、君津、木更津、国府のある市原(島穴神社)へと抜ける。
このルートを使ったのが、日本武尊の東征で、走水と富津の海が荒れた時、同行していた弟橘姫が身投げして静めた逸話が、古事記と日本書紀に載っている。
スーパー歌舞伎のヤマトタケルのクライマックスでもある。
16号線が東京より古い、というのがよくわかる地図。