メディアの話。ザ世界仰天ニュースの安倍元首相「暗殺」(とは番組では言わない)事件の再現ドラマを見て、たしかに仰天した話。

spiderで安倍元首相暗殺事件の再現ドラマを
日本テレビの「ザ・世界仰天ニュース」でやっていたのをみた。

2時間近くかけて、俳優を使った、延々再現ドラマをやる。

つまり内容は、ノンフィクションではない。

テレビ局がつくった創作、である。

暗殺された安倍元首相、昭恵夫人、奈良県警

犯人のテロリストまでをすべて、俳優が演じている。

血まみれの安倍元首相まで登場する。

もちろん俳優である。

たまたま現場でカメラを回していた素人さんくらいがほんもの。

警察が、それっぽいセリフを言っているが、もちろん創作である。

警察がセリフを教えてくれるわけがない。警官も全て俳優である。

大袈裟なナレーションが延々続く。ナレーションで中身をひたすら説明する。

つまりドラマですらない。紙芝居である。

スタジオにいるのは
鶴瓶師匠に中居くんにヒロミ、なにわ男子大西流星などタレントのみ。

タレントの感想が、合間合間で、垂れ流される。

そして、このあいまのタレントの話の多くは、なんと番組内容と関係なかったりする。

子供時代の写真が出てきて、それをみてみんなで爆笑したりしているのだ。

番組では、暗殺を行った殺人者の名前が読み上げられ、彼のキャラクターを、ナレーションが延々続く紙芝居ドラマ(というと紙芝居にもドラマにも怒られるだろう)、なんというか、映像のパワポ資料が流れ続ける。

想像通り、統一教会の話を延々とやり、殺人犯の母親が10代からのめり込んだ創作ドラマをやはりナレーションが延々入る映像パワポで流し続ける。

こちらも、「多分こんな感じかな?」というレベルの創作、である。

見るのがだんだん苦痛になってくる。

番組の体をなしてないからだ。

2時間かけているのに、スクープもニュースもゼロである。

かといって、タレントの演技もない。演出もない。つまりドラマですらない。

タレントの雑談は、中身ゼロ。

しかも、番組の作り自体が、映像がいらない形になっている。

目を瞑って、ナレーションを聞いていれば、内容はすべてわかる。

ただラジオだったら許されないだろう。

ナレーションの内容が、ひたすら時系列に沿って「説明」しているだけであるからだ。

もしかすると、今のテレビ番組はこれが普通なのかもしれない。

タレント陣を見ると、それなりに予算があるような気もする。

内容はというと、家のパソコンでネットにつながってれば、半日でつくれるシナリオである。すでに、「みんなが知ってる、ネットにも転がっている話」を、映像パワポでまとめて、ナレーションで最初から最後まで説明しているだけなのだ。

ただし、この番組の最大の問題は他にある。

まず、殺人犯を、一度も殺人犯と呼ばず、また、事件についても、安倍首相殺害とも暗殺ともいわないところ。

「殺そうと思って狙ってました」

 殺す、という言葉は、殺人犯の供述の言葉を引用したセリフだけ、である。

そして殺人犯は、自ら、安倍元首相を殺害するために計画して犯行を行った、と供述しているわけである。

模造銃も作っている。

これはれっきとしたテロであり、暗殺行為である。

ところが、番組では、見落としていない限り、「暗殺」どころか、「殺害」「殺人」という表現すら、出てこない。

あのテロリストがやったのはなにか。

「銃撃」? それは手段だ。しかも、その銃撃は、自らが用意した模造銃で行っている。

犯人が行ったのは、「人殺し」である。「殺人」である。「暗殺」である。

それがあの事件の唯一最大の「事実」である。

実は、まだそれ以外は何も解明されていない。統一教会との関係、その他諸々もは、裁判が始まって初めて詳らかにされるものだ。

その裁判が始まっていない段階で、この番組は、唯一の事実である、模造銃によるテロリストの元首相暗殺、という事実をなぜか一言も触れず、意図的に避けて、テロリストに寄り添い、彼の殺意が必然的に盛り上がる「ナラティブ」をつくっている。

意図的に避けていないのであれば、こういう番組を作る能力に欠けた人たちしか現場にいないのだろう。

模造銃をつかった練習や映像などのシーンは、クリントイーストウッドとジョンマルコビッチの大統領暗殺映画「シークレットサービス」のそれを、おそらくはそのまんま使ってる。

つまり、映画ごっこをしている。

再現パワポは、昭恵夫人が病院を訪れ、安倍元首相の遺体と面会するところまで、つくっている。

最後は、弁護団による殺人犯の言葉を紹介し、そして、まだ裁判始まっていない、ということを告げて、唐突に終わる。

最後まで見た。

ふう。

ところが番組はここで終わらない。

そのあとは、夏の花火大会で引火して死者が出た事件を、やはり同じレベルのナレーションでひたすら説明する再現パワポを流し続けた。

まだやるのか。人が死ぬ話を。

安い再現ドラマで。

タレントの爆笑を合間にはさみながら。

死にかけた子供。死んだ子供を再現ドラマで、流し続ける。

人が殺される話。

人が苦しんで死ぬ話。

それを、あいまにタレントのお笑い雑談を混ぜて、ゴミのようなドラマで商品にする。

まさに、人の死を商売にしている。

ある意味で、想像以上の内容だった。

私が、テレビや新聞が安倍元首相の暗殺について、殺害という言葉も殺人犯という言葉も使わないことについてしつこく書いているのは、あの事件で一番伝えなければいけない事実は、一国の首相を務めた人間が、すかすかの警備状態で「暗殺=要人の殺害」されたこと、ただ一点なのに、それを報道せずに、周辺の話ばかりを描くからである。

つまり、報道機関が報道機関の体をなしていない。

すると、こういうお笑い番組で報道ごっこをする番組が、あとから出てきてしまう。

これは、世間常識からいっても、国際的な報道の常識からいっても、ぜったいやってはいけないことだ。

「テロリストのナラティブ」を、ろくな取材もせずに行って、安い神格化と、知名度のアップを、タレントの爆笑と共にやる。

以上が連鎖して起きる。

もちろん、こういう番組を作るのは自由である。

が、地上波放送は、国の許認可を受けた、公的な仕事である。

その仕事で、他人の死を、公人の暗殺事件を、一般市民が死に巻き込まれた事件を、「バラエティ」に仕立て上げる、というのは、この日本テレビという会社の基本スタンスなのか?

元同僚の西田亮介さんが、朝日新聞の「エモい記事」問題を批評していたが、私もまったく西田さんと同意見である。

報道に「エモさ」を混ぜてはいけない。

エモさをやりたかったら、フィクションをつくれ。

と、思うけれど、これが民放テレビ番組の王道なのかもしれない。

メディアジャーナリズムの題材としては、とても象徴的なので、秋の授業の教材として活用させていただくことにする。

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