メディアの話。銃撃と暗殺。
安倍元総理の殺害を、「安倍元首相撃たれ死亡」
と見出しをつけた全大手新聞の報道は、改めて間違っていた。
あのとき、大手新聞すべてが同じ見出しだった。
安倍元総理、銃撃で暗殺
とすべきだった。
当時もそう指摘したけど全く同意されなかった。
特に新聞記者の方々から。
複数の新聞記者の方々、あるいは元新聞記者の方々が、「あの見出ししかない」というのを懇切丁寧にネットに説明をアップしていた。
残念ながらそれは、目の前で起きた犯罪のことをどう伝えるかではなく、
内輪のロジックがどの新聞も全く同じだった、ということを開陳しているだけだった。
さらにいうと、日本人の多くは暗殺を闇討ちと勘違いしている。
新聞記者の方もふくめ。
闇に紛れてファブルみたいなのが殺すのを暗殺だと思っている。
要人の殺害は全て暗殺。
assassination=暗殺の定義はシンプルである。
ちなみにWikipediaは、安倍元首相銃撃事件を暗殺の項目に入れている。
新聞の見出しは歴史を作り、ナラティブを作る。
ケネディの暗殺は、白昼、個人の銃撃によって行われた。
安倍元首相のケースと全く同じである。
が、誰もケネディ銃撃されて死亡 とは言わない。
時代を経るごとに、事件の周辺情報は共有されなくなる。
だから新聞のようなマスメディアの見出しが歴史観に影響を及ぼす。
安倍元首相暗殺。
安倍元首相銃撃。
歴史というナラティブは二字の漢字で変わってしまう。
で、テレビ局は「暗殺」事件であったことを全く自覚していないため、結果としてテロリストに寄り添う「ナラティブ」を用意した番組を、まだ事件解明途中でもあるにもかかわらず、作ってしまう。
昨日の日テレの番組だ。
https://www.ntv.co.jp/.../articles/324j2sg3d83tw6scdq6.html
この番組の紹介にも、「暗殺」という言葉も、「テロリスト」という言葉も、出てこない。
それどころか「殺害」という言葉すら出てこない。
文章だけでは、この犯人は「人殺し」をしたことすら、「言葉」として触れていない。
この番組の紹介の冒頭の文章が以下である。
2022年7月8日に起きた安倍晋三元首相銃撃事件。なぜあの場所だったのか、なぜ安倍氏は標的にされたのか、安倍氏を自作の銃で撃った山上徹也被告はいつから襲撃を準備していたのか。警察庁による報告書、明らかになった供述、複数の関係者への取材などを基に再現ドラマで紹介した。
ーー「暗殺」も「殺害」も書いていない。安倍元首相は死んでいるのだが、その事実もこの文章には含まれていない。メディアの記事としては最大の事実を伝えていないので失格の文章である。
日本の新聞やテレビ報道の「言葉」について、とても気になる話である。彼らはなぜ「暗殺」という言葉を避けるのか?