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メディアの話その148 CGとAIが映画から「絵コンテ」を排除したら
人間の「視覚」記憶は、動画か静止画か。
たとえばスポーツや武術あるいは狩猟などをプロとして行なっている人間は、プレイや型、獲物との攻防を「動画」で、しかも自分の肉体の反応込みの「メタバース的記憶」として心身ともに覚えているはずだ。激しい対戦ゲームも同様。
出なければゼロコンマ秒の攻防できない。
が、多くの視覚の記憶は、大半の人にとって動画ではなくぼんやりとした静止画で覚えているのではないか。
で、その静止画記憶を補完するのは、音や空気や温度や匂いといった別の感覚器が入手した情報ではないか。
映画と漫画と日米のアニメの作り方と視聴者としての自分の感じ方を自分なりに精査してみる。
動画コンテンツである映画やアニメにしろ受動的な存在である視聴者からすると、時間を分断した印象的な静止画すなわち絵コンテで起こせるカットが重要ではないか。
CGが気軽に使えAIがどんどん発達すると、一見時代遅れに見える絵コンテやカットが蔑ろにされ、映画やアニメから印象的な静止画が消えていく。
これはハリウッド映画に顕著だけど、案外表現の退化になっている部分があるのでは。私たちの記憶システムが進化しているわけではないので。
スターウオーズが典型だ。
絵コンテの鬼、黒澤明の影響をもろに受けたジョージルーカスの作品は、特撮技術の限界があったからこそだろう、印象的な素晴らしい静止画の連続でスペースオペラを描いている。
まさにオペラだ。
あるいはキューブリック。
彼の映画は左右対称の完璧な静止画が崩れゆくことで不安や恐怖や笑いや未来を描く。
もともとスチルカメラマンだった。
後期のスターウォーズのつまらなさは、ツッコミどころ多すぎてキリがないけど、潤沢に使えるCGの動画に頼り切りで何一つ思い出せる静止画がないところに、その視覚的なつまらなさ、が、ある。
おそらくこれ、いろんな作品にいえるはずだ。
ダーティハリーの冒頭。
スコルピオが屋上プールで泳ぐ美女をさらに高層ビルから射殺し、イーストウッドが現れて、検死を行い、犯行現場に向かうまでの冒頭を絵コンテにしてみた。
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屋上の真っ青なプールに飛び込む遠景
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再びスコープ越しの美女。引かれる引き金 スコープ越しではなく、直接美女が狙撃される映像
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プールの青と呼応する真っ青な空。歩いてきたハリーのアップ。カメラが背中を追いかけ、検死中の死体美女の元へ。
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ハリーが狙撃ポイントのビルの屋上を見る
次の瞬間、路地を歩くハリー。
ハリーをアップにし背中を追いかける。冒頭と同じカメラワークを繰り返す。
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カメラが止まりビルをあおっていく。
ものすごい情報量なのに一切無駄がなく、しかもこの映画では、同じカット、同じ色を繰り返すことで映画のリズムを作っていく。ちなみにこのシーンは最後のハリーの一言まで、セリフはゼロ。
ジョンフォード映画でもやってみよう。
で、絵コンテを書いてみて思ったんだけど、視覚は、時間軸のない「静止画」になり、聴覚こそが時間軸を伴う「動き」「音楽」「物語」と繋がっているような気がする。