仮説:愛は右脳から生まれる
ドラマ「はね駒」を見ている。
「はね駒」は、明治〜大正時代に活躍した女性記者の物語。
プロテスタント系の女学校で学びはじめた主人公・りん(斉藤由貴)が、落第の危機を脱すべく勉強に勤しむ話でのこと。
聖書の一節を暗唱しなくてはならず、憧れの師・松波先生(ジュリー‼︎)からマンツーマンの厳しい指導を受ける。しかし、必死に勉強するもののなかなか覚えられず、あまりの不出来に女学校の礼拝堂へ向かい、十字架に向かって問いかけるのだ。
「神様! 本当に心から求めても与えてもらえないんですか?」
そう問いかけて、聖書を暗唱し始めるりんの背後に、松波先生(ジュリー‼︎)が現れ、聖書の日本語訳を唱え始める…。
暗唱した聖書の内容と、ふたりのかけあいにグッときたので、ここに書き残しておく。
*りんや松波先生が暗唱したものとはちょっと違う
「コリントの信徒への手紙 13章」
1. If I could speak all the languages of earth and of angels, but didn’t love others, I would only be a noisy gong or a clanging cymbal.
たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じである。
2. If I had the gift of prophecy, and if I understood all of God’s secret plans and possessed all knowledge, and if I had such faith that I could move mountains, but didn’t love others, I would be nothing.
たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。
3. If I gave everything I have to the poor and even sacrificed my body, I could boast about it; but if I didn’t love others, I would have gained nothing.
たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。
4. Love is patient and kind. Love is not jealous or boastful or proud.
愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。
5. or rude. It does not demand its own way. It is not irritable, and it keeps no record of being wronged.
不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。
6. It does not rejoice about injustice but rejoices whenever the truth wins out.
不義を喜ばないで真理を喜ぶ。
7. Love never gives up, never loses faith, is always hopeful, and endures through every circumstance.
そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。
8. Prophecy and speaking in unknown languages and special knowledge will become useless. But love will last forever!
愛はいつまでも絶えることがない。しかし、預言はすたれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう。
9. Now our knowledge is partial and incomplete, and even the gift of prophecy reveals only part of the whole picture!
なぜなら、わたしたちの知るところは一部分であり、預言するところも一部分にすぎない。
10. But when the time of perfection comes, these partial things will become useless.
全きものが来る時には、部分的なものはすたれる。
11. When I was a child, I spoke and thought and reasoned as a child. But when I grew up, I put away childish things.
わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えていた。しかし、おとなとなった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった。
12. Now we see things imperfectly, like puzzling reflections in a mirror, but then we will see everything with perfect clarity. All that I know now is partial and incomplete, but then I will know everything completely, just as God now knows me completely.
わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。
13. Three things will last forever -- faith, hope, and love -- and the greatest of these is love.
このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。
………………………………………
「信仰」とは、いわゆる既成の宗教を信じることではなく、自分の魂を信じて生きることであり、「神」とは清らかな自分自身、つまり魂のことではないのかな…と、なんとなぁく思っている。
そう思い始めたのは、このTEDを見てからだ。
左脳の機能が低下した時に、天国を見つけたという話。
“いまここ”“すべて”を感じる右脳と、
過去〜現在〜未来を直線的に思考しようとする左脳。
聖書の言うところの、
prophecy(預言)、unknown languages(異言)、knowledge(知識)は、左脳がとらえるpartial and incomplete(一部分で不完全)なものであって、love(愛)は右脳経由なのではないのかな。
なーんて。
思い出して振り返って、考えた。
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