使って生きて、死ぬ
「こういうこと考えてそうだから、あげる」と言われ、頂いた本。
『DIE WITH ZERO』
直訳すると、『(貯蓄)ゼロで死ね』。
本の内容を究極に要約すると、こんな感じだ。
確かに私は、そう思う。
そう思うように変わった、のだ。
お金への姿勢は遺伝する?
子どもの頃から「貯金しなきゃ」と思っていた。
お小遣い帳をこまめに記入し、お年玉は貯金。社会人になってからも、ボーナスの9割は貯金をしてコツコツ貯めてきた。
倹約家になったのは、倹約家の両親の影響だ。ふたりとも太平洋戦争中の生まれで、子どもの頃は家が貧しくて苦労した。
お金は最低限の衣食住に使うもの。無駄遣いはしない、贅沢はしない。将来や不測の事態に備え、貯めることを優先する。もしも少し余りが出たら使ってもいい。
そんな両親のお金への向き合い方を引き継ぎ、私もそうなっていった気がする。
『アリとキリギリス』の、アリの方だ。
働きアリのような真面目さが、我が身を助けたこともあったかもしれないけれど、住む場所を変え、仕事や関わる人が変わる中で、だんだんと、アリでいつづけることに違和感を持つようになった。
キリギリスは飢えて死んだけど、好きなことを思い切りやって、結構いい人生だったんじゃないの?と、思うことが増えた。
お金に困ったらいけない
失業したらいけない
病気になったらいけない
早死にしたらいけない
お金のことに限らず、将来困らないよう予防線を張る作業を人生の第一優先にするのに、なんだか疲れてしまったのだ。
「将来困るかもしれない」という、悲観的予測を作り出す作業をやめた、とも言える。
そして、今を楽しむこと、自分自身を満たすことを、勇気を出してやってみた。
リッチなホテルに泊まってみる
一泊二日で行きたいコンサートに行く
やってみたかった習い事をする
最初は恐る恐るだったけど、やってみたらとても楽しいことに気がついた。人生への不足感がなくなるというか、充足感が増していくのがわかる。
しかも、私がやりたいこと、好きなことをやって楽しそうにしていても、誰も咎める人はいない。子どもたちは「楽しそうでいい」と喜んでくれさえする。
しかし、唯一、不満そうにしているのが父だ。「お前は好き勝手やっていいな」と、都度、憎まれ口を叩く。
ああ、父さんも好きなことを思いっきりしたかったのに、我慢してきたんだなぁと思う。
今からでも遅くない、父さんも好きなことを思う存分やればいいのに!と思うけれど、
『DIE WITH ZERO』の中にもあるように、
人は年齢を重ねると、行動範囲が狭まり活動力が落ちる。「いつか使うぞ」「老後を楽しむぞ」と、かつて思い描いていたようには、お金を有効活用できなくなるのだ。
だからこそ
金は貯めすぎずに使え!
使って経験を味わってから死ね
というわけだ。
成長神話に終止符を
樹齢200年の大きな木のそばに住んでいる。
初夏になると落葉し大量の実を落とす、ちょっと変わった木なのだが、毎年毎年、落ち葉と実を掃いて気づいたことがある。
その年によって、葉や実の茂る量や時期、落ちるタイミングが違うのだ。
当たり前だけど、毎年同じとか、同じ比率で右肩上がり(右肩下がり)なんてこともない。
我が家の大きな木も、やがては徐々に実もなさなくなり、いつか朽ちて土に還っていくのだろう。が、その時期は、いつどんなふうにやってくるのか、誰にもわからない。予測不可能なのだ。
日本社会はいつからか、コンスタントで澱みない右肩上がりを求められるようになった気がする。
株式会社は四半期ごとに順当な成長を求められる。成長しないと、株主や銀行が騒ぎ出す。とはいえ、「前年比○%アップ」を何年繰り返せばいいのだろう? そんな会社、正直、こわいよ。
子どもは、将来のために勉強して進学して就職しろ、と小学校高学年ぐらいからせっつかれる。停滞することなく、みんな同じ時期に進学して就職するのが基本コース。就職したらしたで、人事部の評価シートから「あなたは今年、何%成長したか?」と自己評価を求められる。何%とか、誰も計れないだろうに!
永遠の右肩上がりなんて無理だ、って多くの人が気づいているのに、右肩上がりに向けて頑張る儀式を、沈黙したままやり続けている。
人生の輝きに自ら投資せよ
この本には、子どもにお金をあげるなら26〜35歳の時にあげるのがいい、と書いてあった。
その時期は、西洋占星術の太陽が活躍する年齢域とちょうど重なる。
26〜35歳は、自分の人生の目的のために、自らを燃やし輝かせる時なのだ。
鉄は早いうちに打て。
金は早いうちに使え。
早いに越したことはないけれど、気づいた時から始めればいい。気がついた時がベストタイミングだ。私は私の、あなたはあなたのタイミングを信じよう。