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なんで友達が少ないとか居ないことにそんなに風当たり強いんだよ

そう思うことがあるから、俺自身のことを絡めて話そう。太字だけで読み飛ばすことも出来なくないよう配慮した。

ある自覚があって、どうやら俺は人と深い関係になることを避ける癖というか性分があるらしい。
なんだか小難しい、障害だとか病気だとかそういうのもあるらしいが、ただ、回避してしまうこと自体に損を感じていない。だから俺の場合は障害でも病気でもない。
だけど、もしそういうので困るということになれば俺の「コレ」は、あなたが治さなきゃ行けない問題点、として指摘される。これには納得がいかない。

人間関係とはいかに上手く傷付けあっていくかという一種のギャンブル…というか、試験問題のようなものだと思う。相手から情報を引き出して、あるいは開示して、そこから類推して、あるいは察させて、互いの構造を探る。

その構造に自信を持つことが「信頼」みたいに呼ばれるもので、多分無意識に、その信頼でお互いに稼いでいる。

所が俺は今そういうのに、なんなんだよ、と落胆している。悪く言って、なんでこんなに足手まといなんだと思わされる。勿論、楽しい思いや面白いと思わせてもらった経験は沢山ある。それは結局俺からも提供する相互関係だから、それについては考えない。

多くの人には、正直話題にも出したくないような思いや経験や考えが、意味はそれぞれにしろあるはず。俺の場合、明確なトラウマである。

最近、一生の関係になると思ってた人間に、限界が来た。というか、俺的には完全に越えてはならない一線を越えられてしまった。

トラウマの女がいる。そいつと完全に俺は縁を切っているが、元友人は仲良くしていたらしい。ちょっと不快だが、まあそれくらいは許すべきと考えた。勿論、俺のトラウマが自〇を迷わせるレベルだったということを知っての上だった。
たまに、その女の話を出してきていた。この時点で止めさせるべきだったのかもしれない。面白い事至上主義が災いして、看過していた。

ある日、その女が俺の悪口を言っていたらしい。それを笑いながら報告された。悪口の伝聞なんてそいつは滅多にしない記憶だった。俺からのその女の悪口言った事なんて無い。関わらないでねという話し合いをしたはずだった。その女と切れてから何年も経っていた。このあまりに異常な話を分かっていない。そこで完全に終わった。あんなに怒るのは人生でもうないだろう。

なんでこんなに頭が悪いんだろうと思わざるを得ない。ちゃんとわかりやすい伏線を張っていた。材料は渡されていた。カップ麺を作るくらい簡単な調理を、奴は怠った。俺にはそう思える。

深い関係」ってなんなんだ。結局、頭の良さじゃんか。友達になる。とか、親友になる。とか、関係ないじゃん。よく知っていても、そうでなくとも、結局上手くいけるやつは初めから上手く行けて、上手くいけないやつはどこからでも終われる。

だからこそ、俺に問題があるという状態には納得がいかない。「人間関係は狭く深くが良い」とか、「友達を作ろう」なんていうのは変だ。そんなものは選択出来ない。勝手にやって勝手になる。
そういう面でギャンブルなのだから、そういう所で不当に評価される風潮が気に食わない。
煽って不安にさせてサービスを買わせるノリも正直見ていて苦しいだけだ。

そういうことに悩む人に伝えたい。
案外生きてくのに友達は必須アイテムでは無い。無くても生きていけるし、今居なくてもいつかできる瞬間も全然来る。
だからこそ、自然体で、背伸びも、かがむ必要もない人、得できる人をバシバシ厳選しよう。


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