気負えない自分ができること
この前の新聞で
「冒頭だけが作られた名作選」みたいな本について書かれていました。(聞きかじり?でソース薄くてすみません)
その文章からどんな物語ができるのだろうと考えるだけで
想像力がかなりスパークするのがよかったです。
自分でも制限時間を決めて何本出せるかやっているのですが
これかなり面白いです。【5分で冒頭だけ書いてみようのコーナー】
◇その犯人は四肢を失ってなお、「誘拐犯」であった。
◇その机の上の花の、首折れた様子に彼女は青ざめていた。
◇先ほどまたいだ敷居の下は宇宙になっていた。
◇今朝のニュースは「悲しさが形で見える薬の話」でもちきりであった。
◇「つまり心の成分をこのダイヤルで調整するわけですね」
◇幸いその電車には父親の姿がなく、私はほっと胸をなでおろした。
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まあこうした文章から最後まで
「エイやっ」て書き上げられる根性と環境とテクニックとが合わさって
小説
という形になるのだろうな~と思います。
私は落語も好きですが
そこに落ちまでの伏線があるのか
会話の無駄がないか
などがかなり気になってしまいます。
小説は無駄もあって小説たる形を保っているのかもしれません。
落語だったら演じることも耳を傾けていくことにも
どこかしら制限を感じるからです。
一方で小説は無制限にものを語ることができます。
装飾してもそれを眺めてもらえる時間は読み手へ任せることができます。
小説
それはちょっとしたゴテゴテしい服なのかもしれませんね。
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