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「仕事場」と「仕事着」というスイッチ。

「仕事場」と「生活空間」
「仕事着」と「普段着」

その区別がつかなくなると、自分で自分を律することが難しくなる。


         *  *  *


かれこれ数ヶ月、住み込みヘルパーという形でゲストハウスにお世話になってます。

住み込みという働き方は、一見するととても得をしているように思う。というのも、職場と同じ建物内に寝泊まりしているので出勤時間を削ることができるし、家賃や光熱費を節約できるから。大雪に降られて帰宅難民になることもない。

ただ、その一石二鳥な住み込みという働き方はあくまで自分を律する心があってこそ成り立つもの。まだまだ自律心の弱い僕には、「仕事場」「仕事着」というスイッチが必要だと気づかされました。


−1階が仕事場。2階に寝床。

昨年7月からリヤカーを引いてきましたが、数ヶ月前からとあるゲストハウスに住み込みヘルパーとしてお世話になってます。

建物は二階建てになっていて、1階に共有スペースやキッチン、相部屋などがあり、2階には個室がある。その2階のお部屋の一部を寝床 & 荷物置きとしてお借りしてます。

朝起きて布団をたたみ、階段を10段降りたら仕事場に到着。よっぽどの寝坊をしない限り、遅刻のしようがない。

また、フリーアコモデーション(※1)という形でお世話になっているため、家賃や光熱費はタダ。キッチンやシャワーは自由に借りることができ、ゲストハウス内のwifiも使えます。

宿としての営業前や営業後の時間に、日本庭園が見える共有スペースでくつろぐ時間は最高の贅沢。

(※1)宿泊者が宿泊施設の仕事をするかわりに、宿泊料無料で寝泊まりが出来るという仕組みのことを指します。(訪日ラボ『今さら聞けないフリーアコモデーションとは?』)



− どこからが「仕事場」なのか。

住み込み生活中は、午前中に館内の清掃や寝具の準備などを済ませ、午後はチェックインのお手伝い。仕事の時間が終われば共用キッチンで調理をしたり、共有スペースで食事をとったり。

はじめの頃は、始業時間内かどうかは関係なく、寝床の部屋を1歩出ればそこは「仕事場」だと思っていました。

それが、「仕事場」でもあり「生活空間」でもある場所で日常生活を送るうちに、いつからか気持ちの上で ON と OFF の境目が曖昧になっていった。

キッチンやシャワールームの掃除をしていても、共有スペースで頼まれたPC作業をしていても、どこか気持ちを切り替えきれない。手足や頭は仕事に向かっているはずなのに。



− 「仕事着」なのか。「普段着」なのか。

住み込み生活中の服装は、リヤカーに積んでいたパーカーやTシャツなど。荷物を増やしたくなかったので、新しい服は買わずに持っていた服で過ごそうと思いました。

そんな風にテキトーにあるものを着る生活を続けていると、なんだか気持ちが定まらないような感覚をふと覚えた。ふわふわと浮いていて、強い風が吹いたら倒れてしまいそうな危なっかしい感じ。

これまでを振り返ると、社会人1年目はスーツで仕事をし、翌年は服装は自由だったのでスーツかシャツ&スキニーパンツみたいな服装で仕事をしていました。単純にそういうスタイルが好きだったということはあるけど、なんとなく身が引き締まって仕事モードに入れる気がした。

その頃と比べると、今はやはり気持ちの切り替えが曖昧になってる。仕事着と普段着の境のない生活を続けたことで、仕事とプライベートの境までも曖昧になってしまったのか。



− スイッチを持たねばならない。

自分を律する心が本当に弱いなあ(涙)

気をぬくと、甘えの沼に真っ逆さまに急降下。その沼は深く、たまった泥水が手足に絡みついて離れない。腰まで浸かってしまうと、もう生半可な気持ちでは外に這い上がることはできない。

気づけば、その沼に浸かってしまっていた . . . 。

「このままではいけない」という焦りと「ああ、おれは何をしてるんだ」という後悔と反省の念が、頭の中でぐるぐると渦を巻いている。

だったら自分のなかで決め事や約束事を決めればいいじゃないかとも思うけど、それだったら通う(と決めた)仕事場や決まった(決めた)服装があった方がいいなあ。決め事を意識する労力があったら、もっと他のことに使いたい。


住み込みという働き方を通して自律心の弱さを思い知ったので、これからは「仕事場」と「仕事着」というスイッチを持ち、うまく自分を律していけるような働き方をしようと思います。


         *  *  *


おわり。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます!

▼ 過去の記事はこちら。

書くほどに気づく、思考の浅はかさよ。』


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