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すっごくでかい半生の記録
野本三吉『水滴の自叙伝 コミューン、寿町、沖縄を生きて』(現代書館、2023年)
全518頁。大著だが実に興味深く読んだ。野本三吉(1941~)さんには、これまでに2度、那覇と横浜でお会いしたことがある。会う人に鮮烈な印象を残すなんとも魅力的な人で、温かい毛布に包まれているような気持ちにさせられる。永遠の青年のような純粋な人だ。
教育者、社会活動家、漂流者、思想家。ひとくくりにできないなんともでかい人だと思ったが、本書を読んで改めてスケールの大きさに驚かされる。そのまま昭和の日本の北海道から沖縄までを写し取った人生の記録だ。
人間は幸福を追求するために生きなければならない、というか生きている以上、人間は幸福になる権利があるしそうならねばならない、というのが野本さんの考えの基礎にある。で、人間が幸福を追求する権利を行使し、実現する場は共同体の中にしかないのだが、共同体はことごとく国家と対立し、国家は共同体を圧迫してきた。これが現代史の要約である。その端的な事例が沖縄であり、東日本大震災・原発事故である。
野本さんは1984年、ある新聞社の連載企画の取材で、谷川雁に会いに行った。大変難しい詩を書く人で労働運動にも積極的に関わり、60年安保世代の神様のような存在だった詩人だ。ところが関わった大正炭鉱(福岡県)のスト闘争が敗れた後、詩人は突然筆を折り、信州の黒姫に隠棲を始める。インタビューを終えた野本さんはその後、家族を連れ再び谷川さんに会いに行く。そのくだりが紹介されている。
「ぼくら家族が『落合荘』に投宿した時にはわざわざ訪ねてきてくれて、三人の子どもたちに『君たちは水だ。君たちのオヤジも水だ。きっといつか水は優しく深くうごきだす。よく覚えておきたまえ。水のように生きる力が人間には必要なんだ』と言われた。」(p.339)
返還前の沖縄で、野本さんはコザの巫女というかシャーマンのような比嘉ハツさんと出会い、交流が始まる。そのハツさんのことばがあとがきにある。
いわく、海の潮が満ちるとき、乾いた砂が湿り、あちこちに少しずつ海水が湧いてくる。そして小さな水たまりができる。時間をかけて、水たまりと水たまりが結びつき、あちこちでつながり、より大きな水たまりになる。それがまたあちこちでつながり、しばらくすると海面になっていく。ハツさんは野本さんに「世が変わっていくのもこんなもの。小さな水滴がつながり、大きな海になるの。覚えておきなさい」と話したという。(p.504)
谷川雁とハツさんの言葉は、優しく動き出す水、満ち潮の時にあちこちで結び付きだす水たまりのイメージでつながる。本のタイトルの「水滴」はまさに、結びつき大きくなり共同体を目指す人間のありようをとらえた言葉だ。その事例がこの本にはたくさんあるが、なかでも印象的だったのは、東日本大震災で被災した福島の子どもたちが沖縄の伊江島に招かれた時のエピソードだった。
2012年8月に島にホームステイした30人の子どもたちが感想を書いた。小学校6年生の子は「初めて海へ行ったとき、海はエメラルドグリーンに輝き、波はとても気持ち良かった。おっとうやおっかあ、島の人たち全員が優しかった。あったことのない人も優しく話しかけてくれた。(中略)福島は放射能で家の中に閉じ込められていたので伊江島ではなぜかのびのびとでき、そうかい感があふれていた。僕の将来の夢は逆に今度は伊江島の人たちを福島に招待することです。一日も早く原発問題や震災のことなどを復旧させ、沖縄のような美しくすばらしい福島県にし、招待したいです」と書いた。
最後の日。お別れの式で村長さんが海岸に立ち、子どもたちの前であいさつした。「心がくじけそうになったら、伊江島にはみんなの家族、親戚、兄弟姉妹がいると思ってほしい。みんなはもう、伊江島の村民です。また来なさい。みんな待っているよ。」
泣けるね。たぶんこういうのが、水滴が、水たまりがつながるということなんだな。