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「よそ者」排除を生む「純血主義」

2022年4月18日付『毎日新聞』朝刊教育面「進学校も中高一貫化 人気に拍車」を読んだ。
 静岡、長野、岐阜と地方勤務を重ねたので知っているが、県庁や市役所に「A高会」だの「B高会」だのがあった。きっと今もあると思う。それは地元高校のOB会(OGもいたと思うが目立たなかった)、要するに任意の親睦会だ。にもかかわらず、である。庁内で仕事を進めるうえで、これが何かとものをいうのだと複数の人から聞いた。大体は県立トップ高とかそういう高校で、卒業年次によるピラミッドになっている。その世界では「どこの高校か」が大事で出身大学は関係ないという。さらに同じ高校の同じクラブであろうものなら、仕事を円滑に動かすうえで隠然たる力をもつ。そういう話をピラミッドの外にいる人から聞いたことがある。やっかみ半分としても、まあそうなのかなと思ったものだ。

 こんな話をするのは、この記事の中で「地域のリーダー役は、地元で学んだ人に担ってもらいたい」という「茨城県庁幹部」氏のあけすけな言葉を見つけたからだ。茨城は首都圏に近く、東京の私立中学などを受験して流出していく人材を県立高の中高一貫化でつなぎとめたいということのようだ。幹部氏は、「地域のリーダー役」、例えば都道府県庁職員は地元出身者が望ましいといっているのだろうか。だとしたらあまりに了見が狭いと私は思う。

 どこでも若年人口の流出が止まらない。それは雇用がないからだというのが一般的説明だ。昨年末、名古屋市内のある大学のゲストスピーカーをして、地方の若者が進学や就職を機に地元を離れるのは雇用がないためだと話した。ところが、その後学生たちの感想を読むと「たしかに就職は都会へ出る主な理由かもしれないが、実は田舎の息苦しさがたまらないのです」という学生が少なからずいた。「あそこの次男坊は農協の営農指導部の主任さんで昨日も隣のじっちゃんの畑で梅干しのおにぎり食べとったぞ。その前はおかかじゃった」とか、そういうのがもうたまらんのだという。そうだろうなあ。この息苦しさから逃れたいがために都会へ行く。都会が引き寄せるのではなく、田舎が追い立てるというのだ。

 その原因に先の幹部氏の同質性重視心理があるのではないかと思う。「あいつ何期卒ならあの先生に英語を習ったな」とか、そういう連中が役所の中で仲良く仕事をしている。そういう居心地よさは、そのまま息苦しさの裏返しである。この心理はまた、数は少ないがその土地が気に入ってそこで仕事をしたいと望むIターン組を「よそ者」として排除する力となるに違いない。人口減少は最優先で取り組むべき課題であるにも関わらず、旧態然としたこの内向き志向が、外側からの新鮮な血というか、知とエネルギーの栄養補給を阻む。地元民じゃないと地元の役所は務まらないなどと愚かなことをいっているからいつまでも変われず、取り残されるのだ。

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