嫌われものの正体のバリエーション

元毎日新聞社の記者だった石戸諭さんの著書「嫌われ者」について考えていることがあります。

記載されている嫌われ者は以下の方々、団体です。

  1. 玉川徹

  2. 西野亮廣

  3. ガーシー

  4. 統一教会

  5. 吉村洋文

  6. 山本太郎

嫌われる(熱狂的な支持者とアンチが存在する)のか背景や理由が異なっているのではないと考えています。

(1)サードドア型

一般的とされるアプローチ方法をファーストドア、家柄や縁故などによる優遇されたアプローチをセカンドドアとすると、第三の新しいアプローチをサードドアと呼ぶ考え方があります。

ファーストドアで順番を待っている人は、それ以外の方法はズルいとみなす傾向があります。自分達の知っている方法ではないからです。西野さんはこの理由によるものが大きいと考えられます。

(2)既存(既得権益)勢力からの抵抗型

政治においては、リソース(特にお金)の分配方法を変えることが重要な意思決定となります。周辺の関係者の関心を集めます。現状で満足しているひとからすると何かしらの変更を加えるひとは脅威であり、嫌われます。吉村さんや山本さんはこの理由によるものが大きいと考えます。

(3)倫理的嫌悪

人に危害を加えたり、社会にとってマイナスな影響を与える行動をとる人を嫌悪する傾向が人にはあります。ガーシーや統一教会がこのグループになります。


実際には、複数の理由が混じりあって最終的な評価につながっています。例えば、サードドアは程度が過ぎると真面目にやっている人からみて倫理的な嫌悪感に繋がる場合があります。

堀江貴文さんの寿司屋の修行は10年もいらない件が物議を醸しますが、このロジックで説明可能です。

やっている本人は(1)によるアンチだと思っていても、(3)によるアンチが増えてしまう可能性もあります。何か影響力のあるひとが行動をしたり、発信すればフォロワーとアンチが増えて行くのは必然な部分もありますが、アンチの解像度は高めておいて損はないと思います。

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