「長瀞」に旅行してきた話

国内旅行が好きなヤマモモです。

年末は伊豆へ、そしてこの3連休は長瀞へ行ってきた。

宝登山のロープウェイで、山頂の動物園に行ったあと、川に下りて岩畳を楽しんできた。

自然が素晴らしく、宝登山では蝋梅の香りを楽しむことができた。岩を切り裂いたような岩畳のある荒川はとても開放感があり、澄んだ気持ちになった。

この自然のすばらしさは前提としつつ、印象に残ったのは、長瀞駅周辺の商店だ。

昔の観光地の雰囲気が漂い、射的屋や囲炉裏がある食事処などがある。一部、今時なお店もあるものの、昭和な感じのお店がしっかり営業しているのだ。

話はとんで、2024年の年末にPLANETSの大忘年会に参加した。

その中で、第二部が「庭プロジェクト」の話だったわけだが、以下のようなメモを自分自身で残している。

価値観は多様であり、それぞれの人生観の中で豊かさを追求すればよいのだが、その土台に都市があり、その都市をどう実装するかが人の価値観に影響を与えている。

人と都市は、疎な結合として切り離すことはできない。

都市をどう形作って行くべきか、この社会という人の集合体に顕在化している問題はどのような都市機能が影響を与えているのか、を念頭に議論が進んでいるのだ。

https://note.com/yammomo/n/na88535590dc7

この大忘年会の影響で都市のあり方に問題意識が向いているなかで、今回の長瀞観光は感じるものがあった。

都市としての豊かさを育んでいくために、人間の快適さや消費促進に最適化(合理化)されすぎない事物があることが大切だ。

昔ながらの観光地は、現代的なトレンドに沿っていないからこそ「昔ながら」なのだが、それでいて訪れるものに雰囲気という奥行きを与えている。

意図していないものに不意に接するきっかけが都市が持つ機能だ。

宝登山からも岩畳からも現代的な店舗トレンドからも合理的に導けない、そこにそうして残ってしまっている以外の理由がない「昔ながらの店舗」でうどんをたべた経験は長瀞という都市がもつ豊かさだ。

こうした豊かさを表現する適切な名前がないように感じるのが残念である一方、名前がついてなにかの指標になって意識的に強化されるのも違うというように感じて、なんだか扱いが難しい。


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