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子を預かってもらうありがたさ、そして切なさについて

こんにちは、Shukkaちゃんと皆さま。
今日は子を預けることについて。

うちの子どもは1歳で、私は今育休中なのだけど、ときたま近くの保育園の一時保育に預けている。
一時保育というのはその名の通り、事前に申し込みをして希望が通れば一時的に子どもを預けられるサービスで、最大週3日まで、基本的には朝9時から17時まで預かってくれる。
必ずしも働いていなくても預かってくれるというところが有難いところで、私のように育児休業中の人や求職活動中の人、たまの息抜きに利用される人もいる。


大事な子を預けるわけなので、よく知らないところや適当なところに預けるのは気が引けるけれど、
近くの保育園だと何度か一般開放DAYにお世話になっているし、何名かの先生たちとは気心も知れていて安心だ。
何よりプロの保育士さんが見てくれるし、食事もおやつも月齢に合わせたものを提供頂けて、園庭でのお外遊びまで連れ出してくれる。
本当にありがたく、すばらしいサービスだ。

私が毎回びっくりするのは、お迎えの時に先生方から受ける、フィードバックの細やかさだ。
「〇〇ちゃん、今日は音と光の出るおもちゃでこんなふうに(動作をまねながら)沢山遊んでいましたよ。」
「お昼に、おあげを2回口にいれてまた出して、3回目におそるおそる食べてましたよ。」
一度に数十人の子どもたちをみているはずなのに、よくそんなに細かいところまで覚えて下さってますねと本当にいつも驚かされる。
我が子ひとりを毎日みている私ですら気付いていないことを教えて下さったりして、保育園の先生方の観察力と記憶力はマジでとんでもなくすごいと思う。


しかしこの一時保育でいまだに慣れないのが、我が子とのお別れのタイミングだ。
この日記を書いている時点で、計6回くらい預けているのだけれど、毎回、いや回を重ねるごとにギャンッギャンにお泣きになる。
2回目から先生のお顔を見た時点で泣き、3回目からはお部屋に入った時点で泣き、ここ2回くらいはもはや建物に一歩踏み入れた時点で泣いた。
しかもその泣き方の激しきこと。
先生の腕の中で体をねじりまくって虚空にもろ手を挙げたポーズで、目をかっぴらいて東京まで聞こえそうなくらいの大声で泣くフロム大阪。


あの姿をみるとたまらない気持ちになる。
ごめんね、ごめんねといって離れがたくなるけれど、
先生が「ここは私に任せて、さあ行って………!」といわんばかりに我が子を抱きかかえて後ろを向き、我が子の視線から私を隠しながら肩越しに退室を促すので、
「すまない………!」
とは言わないけれど、そう念を送ってそそくさと部屋を後にする。


保育園を出た後の帰り道はいつも切ない。
その後も何をしていても、ときどきふっとあの真っ赤な我が子の顔が脳裏に浮かぶ。
たまらなくなって夫にLINEしたら、お昼休みに「職場復帰した後の練習だし、成長への大事な過程と思おう」となだめられる。


大体、一時保育に預けることを決めたのは私だし、我が子に寂しい思いをさせることに今更ぐずぐず心を痛めているなんて、じゃあやめればいいだろうという話なのだが、そういう訳にもいかず。
それならば腹をくくるべきなのだけれど、どうしても一抹の申し訳なさがザラリと心に残る。

世の父と母はこんな気持ちを抱えて、愛しい我が子を預けて働きに出ていたのだなと思うと、たまらなく切ない気持ちになる。


私は親になる前、なぜか世の色んなことを分かっているつもりでいたけれど、
子を持って初めて、ああこれってこんなに大変なことだったんだ、こんなに凄まじいことだとだったんだと理解することがすごく多い。

子を持たずとも他者への理解と思いやりに富んだ人はいるけれど、私は子どもの存在を通してはじめてその域に達したことが沢山あるし、とても人間を鍛えられているような気持ちだ。
子育ては親育て、だったか、そんな言葉を聞いたことがあるけれど、まさにと思う。


前回の一時保育の終わり、先生からフィードバックを受けた。
「お母さんが帰られてから泣き終わるまでの時間が、大分短くなりましたよ。少しずつ心が強くなっていってます。」
またしても、私の気付かない我が子の成長を教えてもらえた。本当にありがたいことだ。
私も我が子に負けじと、心のギャン泣き時間を少しずつでも減らしていけたらいいなと思う。
ゼロになることはきっとないだろうけど、少しずつ。我が子とともに育っていきたい。














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