テロ社会に移行するか瀬戸際迎える日本
安倍元総理銃撃死事件の犯人である山上徹也を崇拝する意図は一切ありませんし、賛美するつもりも一切ありませんので、その点は誤解しないで下さい。
ただし個人的に同情はしていますが……
はじめに
宮台真司東京都立大教授が切りつけられた事件で、犯人と思われる男が自殺していた事がわかり、その後も続報が出ているが、統一教会による犯行だったのではないかと疑う声は依然として強く、また、男の母親の宗教が宗教二世問題で何かと物議を醸している『エホバの証人』だったという事で、仮に男がエホバの証人の信者で、宗教二世だった場合、やはり宗教絡みの犯行だったのではないかという見方をする人達もいて、破壊的カルト≒セクトに対する目が更に厳しくなる事が予想される展開となっている(※エホバの証人側は母親が信者であることは認めたものの、男に関しては「エホバの証人とは一切関係ありません」とマスコミの取材に回答している。ソースは週刊FLASH 2023年2月21日号)。
創価学会関連に関しては、長井秀和氏の記事が高い頻度で出ており、カルト問題の深刻さが、更に浮き彫りとなっている。
ちなみに筆者自身、カルトが絡んで家族を売るような真似をしたケースを実際に知っており、その問題が生じたのは、まだ10年以内の話だ。
カルト絡みで家族が壊れる事は、世間の人達が想像する以上に、非常に高い頻度で発生する。
そんな中、東洋経済からは「統一教会のブームが過ぎたら元通り、では困る」と副題をつけて、下記のような問題意識を促す記事も配信された。
マスコミはかなり正常に機能しつつあり(新聞とテレビの大部分はまだまだ甘いところもあるものの)、政治だけが、意識が取り残されて、きちんと機能していない印象を受ける。
第一章 統一教会がやった事
1980年代の終わり頃から1990年代の初頭にかけて、統一教会は、霊感商法や合同結婚式が社会問題化し、ワイドショーで取り上げられて大騒ぎになった。
ところがマスコミは、その後、一連のオウム真理教事件をはじめ、カルトによる組織犯罪や大きな問題が続々と起きた為、世間の統一教会に対する関心が低下した事もあり、ほぼ報道しなくなった。
無論、その裏では、既に報道されているように、統一教会とマスコミ上層部との癒着という腐敗が発生し、また、報道すると嫌がらせを受けるというので、上層部からの圧力と、現場から上がる不安という相乗効果で、報道の萎縮が起きていた事は事実である。
その為、統一教会は生き延び、更に手口を巧妙化されて、多くの国民を食い物にしていった。
被害者が警察に被害相談に行くと、統一教会側がそれを察知して、繋がっている国会議員に何とかして欲しいと依頼する。すると国会議員が警察に圧力をかけてくるから、現場の動きが鈍る。
マスコミに情報提供しても、動かない。上は癒着している。記者達は相手がカルトという事で怖がって対応したがらない。
裁判に訴えようとしても、有効な法律がない。統一教会側は弁護士を雇って対策を取っている為、お金は殆ど戻ってこないし、被害に遭ったとしても、その被害の大部分は、民事でも刑事でも対応できないものばかり。
行政は更に輪をかけて動かない。政権政党の大物政治家達が統一教会と繋がっているのだから当然で、必要な法整備なんてされてもいないし、そもそもカルトの問題に対応できる仕組みそのものが殆どない。
結果、どうなるか。
カルトの被害に遭ったら、泣き寝入りするしかない。
実際、多くの家が自己破産し、家庭崩壊し、自殺者も大勢出し、惨状を呈したわけですが、今まで報道もされなかった為、世間の人達の大部分は、筆者も含めてそういった惨劇が起きていた事実すら、知らなかったのです。
マスコミに関して言えば、2009年の民主党政権ができるまでは、統一教会の催しに国会議員が出席したとして、一部の週刊誌が議員達の実名と共に報道する事もしていましたが、途中からその種の報道すら、山上徹也が安倍元総理銃撃事件を起こすまで、ほぼ途絶していたように思います。
これまでの報道を見る限りだと、恐らく2012年末に第二次安倍政権が成立して以降、統一教会の力が非常に強力になった為、以前にも増して統一教会報道が出来なくなった事が原因なのだろうと思います。
第二章 モラルハザード
悪い事をした人間が、処罰されない。
その悪事を取り締まる法律がないにも関わらず、処罰法が制定されない。
結果、被害者は泣き寝入りして、最悪、自殺してしまう。
逆に加害者はのうのうと生きて、善人面している。
有名な冤罪事件である氷見事件では、アリバイがあり、現場に残された犯人の身体的特徴とも一致しない人物を、取調官が犯罪者にでっち上げたという悪質性の数々が表面化しにもかかわらず、富山県警の警察官は、誰一人として処分されませんでした。
オリンパスの配置転換訴訟で判明した企業による内部告発者やセクハラ被害者などの従業員を精神障害者にでっち上げて、告発やセクハラ被害を精神障害者の妄想として隠蔽すると同時に、解雇して、酷いケースになると自殺者まで出していたという問題も、新聞社やテレビ局はまともに報道せず、国会でも問題として重点的に取り上げず、結果、その様な事をしていた企業も、関与した加害者達も、誰一人として、まともに処罰されない、このような行為を取り締まる法律さえ作らないという、異常な事が行われました。
これは氷山の一角です。
テレビのニュースを見ていたら、追い出し屋という悪質な業者の問題を取り上げていて、立ち退かせる為に、被害者宅の隣にある立ち退いた民家に男が入り込み、物を壊したり、ぶつけたりして、室内で強烈な騒音を立てたり、暴力団のような言動を弄して脅したりと、やりたい放題していました。
その男達の正体は建物を買い取った不動産会社の社員で、立ち退き料を支払いたくないが故に、そのような嫌がらせを働いていたとの事でした。
こうした嫌がらせ行為は、現在、取締法がないそうです。
だから警察は動きませんし、被害者達は泣き寝入りです。
既に、悪い事をしている側、社会的に力(お金や権力)を持っている側は、平気で法律や条例を破ったり、あるいは法律や条例の裏を掻き、処罰されない嫌がらせやグレーゾーンの行為を執拗に繰り返したりして、利益を上げるような真似をしているのです。
京都府で道路族住民らが起こした悪質な嫌がらせ事件ですが、その嫌がらせが、「これはあきらかに大人の集団いじめで、相手の住民は、集団ヒステリーともいうべき状態に陥っているのではないか。住民らの間に、自らの行為はやりすぎではないかと省みる態度が、これまで不思議なくらい見られませんでした」、「人と何か違う人がいたら、法律に触れない程度で、みんなで総いじめするという構図です。彼らには彼らなりの正義の心があるので、手に負えないわけです」という内容だった事は、決して偶然ではありません。
意識的に処罰逃れの為の嫌がらせを、計算してやっていたのです。
警察に関しても、悪い事をしても認めない、表面化したら謝罪はするが処分はしないといった事を繰り返しているのです。
この国は既に、法律や条例を守った側が馬鹿を見る社会になっているのです。
第三章 認められない自力救済
個人が権利を侵害された際、物理的な力を行使し、その状態を回復しようとする行為を自力救済と言います。
早い話、報復権の事です。
現代国家は自力救済を大幅に制限し、正当防衛などの極めて限定的な条件下でしか認めない代わりに、警察制度を整備し、刑法を制定し、問題が起きた時には原則として国が対処するという方式を取っています。
ところが、現実には、第一章や第二章で触れたとおり、その前提となる取締法が存在しない現象が山のように発生しており、警察も、問題を起こしても認めない、謝罪しない、処分しないといったモラルハザードを起こしているような状態で、到底信用できる状況にはありません。
そうであるにもかかわらず、被害者が加害者に反撃でもしようものなら、途端に暴行罪や傷害罪、不法侵入、脅迫など現行刑法違反で逮捕され、警察の取り調べを受ける事になるのです。
つまり、法律と警察が、悪人共を守っている状態なのです。
第四章 抵抗権の発動
世の中を動かす為には、世論を作る必要があります。
その為に重要な役割を担うのがマスコミですが、統一教会は、上層部と癒着し、現場には脅しと嫌がらせで言う事に従わせ、報道させないようにしてきました。
だから報道して貰って世論を作ることは不可能です。
政治家と政党は、統一教会のようなカルト教団の問題を取り扱う事を、非常に嫌います。議員個人に関して言えば、嫌がらせ程度で済めばいいですが、暗殺されるリスクがある事、政党に関して言えば、大規模なネガキャンを行われて、党自体が大打撃を受けるリスクがあるからです。統一教会に関して言えば、主に自民党の政治家という事になりますが、癒着し、パイプを築いていたのですから、統一教会の被害相談を持ち込んだとしても、取り上げてくれるわけがありません。
国会で問題として追及し、法律を作って貰える事も出来ません。
警察と行政、裁判所は、一章で触れたとおりです。
つまり被害者は泣き寝入りするしかないわけです。
仮にここで自力救済権を発動し、教団の担当者や幹部に報復したとしても、今度は犯罪者として裁かれて、刑務所に行く事になるだけです。
文字通り、嵌められて、身動きの取れない状態です。
統一教会問題に限らず、この種の状況に陥っている被害者達は、日本国内に大勢います。
カルト問題で特に被害者が多くて深刻なのは、創価学会でしょう。
埼玉県越谷市の県営団地で起きた嫌がらせ事件では、被害者が主に嫌がらせを働いていた人物を相手取り、民事裁判を起こし、嫌がらせを働いた事実を認めさせて和解するという、事実上の勝訴にあたる形で問題解決に持ち込めたケースがありますが、言い換えれば、創価学会による悪質な嫌がらせ事件では、勝つ事が出来たのはたったの一件、それ以外は全て泣き寝入りさせられているという事です。
たちが悪い事に、創価学会は統一教会など比較にならない水準で警察と癒着している為、警察が全くあてになりません。
実際、カルト側は、被害者が切れて傷害事件や殺人事件でも起こしてくれたら、頭のおかしい人間が被害妄想で暴れただけという事にして、事実関係を隠蔽して逃げ切れると考えているので、わざとそうした犯罪を起こすよう、煽ってくるように始末です。
だからみんな、自殺したり、泣き寝入りして黙ってしまうのです。
山上徹也は、その状況を打ち破ったのです。
人間には、政府が圧政を働く際、抵抗する権利が認められています。
これを抵抗権と言います。
抵抗権は革命権とも呼ばれ、抑圧体制に対し、民が戦いを挑み、倒す事を正当化する際のロジックとして存在しています。
等と書くと大仰ですが、要するに、政府が、国民が飢餓で困ってるのに重税を課してきたり、このままだと自分が死ぬしかない、もう生きられないという酷い状況に追い込もうとしてきたら、人々が武器を手に取り戦って、政府をぶっ倒してしまう事を、正当化する為の理屈という事です。
まあ、こんなものは当然の権利なので、わざわざ抵抗権とか革命権と名前を付けるのも変な話なんですが、一応、民主主義思想ではそういうルールもありますよという事です。
結局、山上がやった事は何かといったら、マスコミが報道しない、政治も動かない、警察も駄目、行政や裁判も駄目、それだったら、事件を起こす事で統一教会が問題を起こしている実態を強制的に報道させて、その事によって世論を作り、統一教会問題を解決させてしまおうとしたわけです。
山上の不幸な生い立ちと、統一教会を巡る事件前までの状況を考慮すると、山上の取った行動は、抵抗権の発動と言えるのではないかと、一部の人達から言われました。
その解釈は、やや本筋からは外れている部分もあるわけですが、間違いと言える程でもない、というのが、筆者の解釈です。
第五章 崩壊する権威
これは決して言葉遊びではなく、国というものは、人々がその存在を認める事によって成り立っている、幻想です。
例えば、「国?そんなものは知らない。だから税金なんか払わないよ」と言ってしまったら、国は税収がなくなって、国債の引き受け手がいなくなったら潰れます。
法律も同じで、「あんな法律、誰が守るか!」と国民が守る事を拒絶すれば、存在しても、存在しないのと同じ事になります(ちなみにこの現象に関しては関連する法格言もありますし、アメリカの禁酒法などが最悪の悪法として例に上がるようです)。
この表現は正確ではないのですが、国の存在を規定するのは紙に書かれた憲法であり、法律であって、人々に、国の命令や指示に従わせる強制力として、軍隊が存在します。
というより、この指示に従わせる強制力が存在するからこそ、国家は存在できていると言っても、過言でない気がします。
この話を理解するには、無政府状態を想像するのが手っ取り早いです。
無政府状態の国だと、政府が一応存在しても、人々も、企業や団体、組織も、国の言う事を全く聞ききませんよね。
あれと同じです。
政府というものは、ただ存在するだけでは、無意味なんです。
人々が、その存在を認め、国の指示や命令に従う意思を示し、国の権威と国家による支配の正当性(正統性)を認めて、初めて本当に存在する事が出来る、というわけです。
安倍元総理の銃撃死事件以降、次から次へと信じ難い報道が出てきたわけですが、統一教会が信者達を自民党に党員として送り込んで、内側から党を乗っ取る加入戦術と呼ばれる手口で党を乗っ取ったらしい事やら、自民党国会議員の議員秘書として100名を超える信者達を無償で提供し、経験を積んだ後は市議候補として送り出し、地方議員にしていたとか、またそうして秘書として党内に潜り込んだ信者達が、議員の詳細な動静を統一教会に報告していたとか、選挙の際にはボランティアとして信者達を大量に送り込んでいたとか(当然、候補者や党内の情報が全て統一教会に筒抜けになる)、その他、関わった議員をマインドコントロールし、信者にしていたとか、市議会議員選の候補に票を貸し、当選させて恩を売り、出世して党の幹部になったら、統一教会側の人間として動いて貰い、統一教会の利害を自民党の政策や政権運営に反映させていたとか、ここに書いた事は、全て報道ベースの話で、決して筆者の想像で書いたものではないのですが、総合的に捉えると、統一教会は、政権と国会を、間接的に支配する事に成功したと言って差し支えない程の、絶大な力を得ていた、という事のようです。
こうした実態が報道された事で、統一教会の教義が自民党の政策や政権運営に反映されていたのではないかと、日本国中が大騒ぎになったわけですが、ここまでの力を持っていた以上、それは反映されていなかったと考える方が無理筋であり、統一教会には政治家、政党を通じてマスコミに影響力を行使する事も可能であったわけですから、統一教会が通したい政策を実現させる為の世論構築に必要なマスコミのアシストさえ、行わせていたと考えた方が良いでしょう。
つまり、多くの国民は、それが統一教会の考えだとも知らずに、マスコミに誘導されるがまま、統一教会の教義に合致した考え方を支持させられていたという、まるで共産国のような現象も起きていたという事です。
今、自民党や政府、自民党の政治家達に対して、どういう感情をお持ちでしょうか。
安倍元総理の銃撃死事件の前と、現在とで、自分の印象が劇的に変わっているという人が、非常に多いと思います。
政府に対して胡散臭いと感じている人の数は、間違いなく、非常に多くなっている筈です。
自民党の政治家の人達に対する認識も同様でしょう。
野党政治家も信用できないと考えていて、既成政党は全て駄目だという人の数も、非常に増えていると考えられます。
国家の権威そのものが大きく毀損され、その統治の正当性、即ち、公権力の権威が、極めて激しく揺さぶられている状況にあるのだと思います。
また、事件前の段階で、警察に対する不信感が増大していて、それが決定的になったのが、2019年に発生した愛媛県警松山東警察署女子大学生誤認逮捕・自白強要事件です。
この事件は、犯人ですらない女子大生を犯人と決めつけ、執拗に自白を強要するという行為に及んだ内容の酷さもさることながら、事件が起きた警察署が愛媛県警の筆頭警察署である松山東警察署で、警察署の幹部の面々がそうそうたる顔ぶれだった為、余計と、筆頭署でこの有様なら、他の警察署はもっと酷い事をしているのではないかと、不安を呼び覚ましたのです。
その為、自警団を作った方が良いのではないか、という声まで出る始末で、更にその翌年、奇跡体験アンビリバボーで氷見事件の再現VTRが作成された事が致命傷になり、警察に対する不信感は、頂点達しました。
警察はあてにできない、頼りにならない、という声が国内に蔓延する中で、安倍元総理の銃撃死事件が発生し、政府自体が到底信用できる状況にはない、という現実を、多くの人達が突きつけられたのです。
第六章 国民の生命と財産を守らない政府
統一教会問題には、あまり意識されない論点があります。
それは、政府が国民の生命と財産を守っていないという点です。
政府による統治の正当性は、国民の生命と財産を守る事にあります。
カルトが国民をマインドコントロールし、食い物にして財産を奪い、自殺に追い込んで命を弄んでいるのに、それらを取り締まろうとしないばかりか、取り締まるのに必要な法律も作らない、挙句の果てには、そんな風に国民の生命と財産を食い物にしていたカルトと、政権党の国会議員で党の大物幹部であるような人間が、深い繋がりを持ち、カルト側の人間として振る舞い、カルトを糾弾しているジャーナリストの鈴木エイト氏を恫喝するような真似までしている。
これは一体何なんですか?
全て単なる事実の列挙ですよ。
同様の事は創価学会にも言えます。
何人、何十人、下手したら百人を超える嫌がらせの被害者がいて(主に90年代に被害を受けた脱会者は除いた数字です)、自殺に追い込まれたり、精神障害者にでっち上げられたり、転居強要被害に遭って県外に引っ越していたり、職場でデマをばら撒かれて、キャリアを破壊されたり、滅茶苦茶な暴挙が行われているのに、組織的に行っている事、嫌がらせを働いた学会員達が口裏を合わせている事、加担した非学会員達が創価学会を恐れて口を噤んでいる事、ガスライティング系の被害の立証が難しい嫌がらせが多い事、取り締まる法律がない事を理由に、野放しになっています。
そして国会議員達は、ガスライティングという用語を知り、実際に、心理学に詳しい人達が大勢、この問題について解説もしていて、実際に精神障害者にでっち上げられたケースも出てきているにもかかわらず、取り締まる為に必要な法律を一向に作らないのです。
手厳しく批判する人等は、創価学会による、敵対者や仏敵認定した相手に対する執拗な嫌がらせは、事実上の宗教テロであると断罪しています。
批判封じの為の嫌がらせであれば、言論に対する宗教テロリズムですし、教団にとって邪魔な人間を、自殺に追い込んで殺害したり、精神障害にでっち上げる事で教団に不都合な何かを隠蔽しようとしているのあれば、こちらも宗教テロリズムに該当します。
この観点から見た場合、嫌がらせ実行犯の学会員達は、宗教テロを実行するテロリストである、という事になります。
そんな深刻な事態が野放しの時点で、既にまともな国ではありません。
学会員達は創価学会からの指示で、馬鹿の一つ覚えで「創価学会からの嫌がらせ被害を受けた等というのは統合失調症の被害妄想」等と戯言を繰り返しているわけですが、そもそも、埼玉県越谷市の県営団地で発生した組織的な嫌がらせ事件においては、ガスライティングの手法を用いて、被害者一家を自殺に追い込もうとしていた証拠が挙がっていますので、最早、言い逃れなどできない段階です。
ちなみにこの越谷市の事件の民事裁判の和解は、2015年2月に成立しているのです。
もう8年も経っているのですよ?
国民の生命と財産すら守らない政府に、存在する価値はあるのですか?
正当性(正統性)に関しても同様です。
今の政府は、統一教会と創価学会という、二つのカルト教団が共同で管理・運営している事実上のカルト政府であり、国家自体が彼らと一体化したカルト国家そのものであり、既に、普通の民主国家ではなくなっているのではありませんかね。
今までに起きた事、現状を鑑みるに、そう断じざるを得ません。
第七章 安倍元総理銃撃死事件の余波
第二章で取り上げた通り、現在、この国では、法律や条例を理解した上で、それに抵触しないように嫌がらせや悪さをする行為が横行していて、また、その事実が表面化しても、政府が取締法を作らない為、その種の法の裏を掻いた悪事を働くグループや団体、組織がのさばっている状態です。
それに加えて、統一教会や創価学会のように、政治と警察、報道を押さえる事で、被害者から抵抗する術を奪うケースも、多発しているのです。
被害者達は皆、泣き寝入りしたり、自殺したりしてきました。
山上が事件を起こした事で、みんな、気づいてしまったんです。
相手が大きな団体で、政治と警察、報道を押さえ、抵抗する術を奪ってくるようなら、暴力で報復してやればいいのだ、と。
無論、暴力による報復は、今までなかったわけではありません。
宗教絡みなら、嫌がらせの実行犯、面識のある幹部に直接暴力を奮い、犯罪者として逮捕されたケースは多々あるでしょう。
しかしみな、実行犯を倒したところで、黒幕を倒さなければ意味がないし、加害団体を潰し、新たな被害者が出る事を阻止し、被害者の救済をきちんと国に行わせない限り、意味がないと考えていたから、泣き寝入りしたのです。
安倍元総理が統一教会の広告塔になっていた事は事実で、また、統一教会の信者達から、内部の人間と認識され、味方(身内)と認識されていた事実、並びに鈴木エイト氏が「共存共栄の関係にあった」と語っている事実などもありますが、報復の相手として、本当に適切だったのかに関しては、未だに議論の的となっています。
ですが、銃撃の被害に遭い、犠牲となったのが、賛否両論ありますが、憲政史上最長の在任期間の記録を達成し、歴史上の人物として歴史書に名を刻む事が確定していた安倍元総理という大物政治家だった為、マスコミが報道しないわけがありませんし、国民の関心も非常に強いものとなった為、結果的に、統一教会の問題を報道させるきっかけとなったのです。
他の同様の問題に関しても、結局、事件が起きた時に大騒ぎになる人物を狙うか、事件を起こす事で大騒ぎになるような出来事を決行する事で、マスコミにセンセーショナルに報道させて、国民の関心を引く事に成功すれば、国民の力(=関心)よって、マスコミはきちんと問題を取り上げて報道するし、また、その事によって政治家達も動かざるを得なくなり、問題解決に向けた動きができるという事を、その他の団体や組織、グループからの被害に遭い、泣き寝入りさせられている被害者達が、知ってしまったわけです。
最終章 テロやクーデターが横行する社会に移行するか否かの瀬戸際
山上がやった事は、政治もマスコミも機能せず、行政も警察も機能しないというならば、暴力を行使する事によって、強制的に問題を解決する、という、極めて強引な方法でした。
一部のマスコミと統一教会は、テロは許すな、山上はテロリストだ、山上の言い分は一切聞くな、と言っているのですが、この人達は大きな勘違いをしています。
政治が機能していれば、山上は統一教会からの被害に遭いませんでしたし、仮に、被害後に政治が機能したケースであったとしても、彼が安倍元総理を銃撃するような事件は起こさなかったでしょう。
事件が起きた元凶は、政治の機能不全です。
そしてその元凶となった政治の機能不全を除去せず、テロに屈しないと称して、政治が問題解決に動かないとすれば、次に何が起きると考えているのでしょうか。
革命かクーデターですよ。
山上はまだ政治を信頼していたから、一石を投じる為に、事件を起こしたのです。
統一問題の問題解決は、政治にやって貰おうと考えたわけです。
にもかかわらず、問題が発見されても、解決する事はテロリストの言い分を呑む事だから断じてすべきでない、等と言い、解決策を講じなければ、そんなカルトの回しものの政府も政治家も要らないという話になります。
第六章でも触れましたが、現状、この国は、国民の生命と財産を、カルトの手から守ってません。
これは生存権が脅かされている事を意味します。
同時に、抵抗権を発動する正当性がある事も意味しているのです。
全ての議員さんがそうだとは言いませんが、どうも自民党の議員さん達を見ていると、統一教会問題も時間が経てば風化する、そうすれば国民も忘れてくれる、そこまで持たせられれば勝ちで、統一教会との関係を完全に解消しなかったとしても、何も問題はない、許される、等と考えているようですが、そんな状況になる事は100%ありません。
政府が国民の生命と財産を守らず、生存権が脅かされている状況が野放しになっていて、政権党がカルトとの関係を解消しない、カルト側の代理人のように振る舞い続けるというのであれば、間違いなく、これからもっと酷い事が起きるだけです。
最早、政府と政治をあてにできないとして、本気でクーデターを起こそうとして計画を立てたり、仲間を集めたりする人たち、被害者の立場にある人達であれば、「政治的目的を達成するために、暗殺、殺害、破壊、監禁や拉致による自由束縛など苛酷な手段で、敵対する当事者、さらには無関係な一般市民や建造物などを攻撃し、攻撃の物理的な成果よりもそこで生ずる心理的威圧や恐怖心を通して、譲歩や抑圧などを図るもの」(日本大百科全書)という本来のテロの定義に従って、問題を知って貰う事を目的として、テロ事件を起こす被害者達などが次から次へと現れて、恐らく、政府が倒れるか、政治が変化してきちんと対応する態勢が整うまで、政治的混沌期に突入する可能性が高いでしょう。
今はそんな政治的混沌期に突入するかどうかの瀬戸際にあると考えます。
終わりに
暴力は暴力を生む。
憎しみは連鎖する。
カルトが国民に対して行っている事は、言い換えれは暴力です。
金を奪う、人生を奪う……。
だから国民も暴力でやり返す。
また、政府も、カルトと結託してカルトによる暴力の行使を黙認したのですから、同罪ですよね。
そうしてカルト達は国民から抵抗する手段を奪い、公権力を手に入れる事で、泣き寝入りする以外にない状況を作り出し、「勝った!」とほくそ笑んでいたわけですが。
最後には結局暴力でやり返された。
しかもカルトが自分達の後ろ盾に政府を利用したせいで、公権力がカルトと一体化したと看做され、その権威の正当性が失われる事で、国家そのものが存亡の危機を迎えるという馬鹿げた展開になった。
悪い事をすれば、必ず報いを受けるという事です。
国家権力を手に入れれば、悪い事をしても罰せられない、取り締まる側を仲間にしてしまえば取り締まられない、等と安直な考えで公権力に侵食したのでしょうが、そんな事をやって、公権力の正当性に傷をつけてしまえば、結局、公権力ごと潰れてしまうわけです。
本当につける薬がないですよね。
公権力の正当性は、中立性、公平性、公正性であり、それらが欠けてしまえば、その正当性を失うのです。
そして正当性を失えば、潰れる以外にないんです。
正当性を失ってしまえば、それは単に、相手に強制的に指示を呑ませる武力を持っただけのならず者、即ち、盗賊団や山賊と大差ない連中に転落することを意味するからです。
盗賊団や山賊の言う事を正当性があると思って聞く人はいないでしょう。
力を握れば何でもできる、やりたい放題できると考えた、モラルハザードを起こした人間達の迎えた結末という事なのでしょう。