元教員の僕が「大人のADHD」と診断され、今を受け入れた理由
当時の私は、紆余曲折しながらもなんとか大学を卒業し、教員免許を取得。講師として公立高校で働いていました。
教員生活
教員生活は給料は低いながらも楽しかったです。
一部の生徒には好かれていた自信はありますが、職員室での評判は著しく悪かったと思います。
など、ADHDの症状が職員室の先生方から見て、怠けている、教員として不適切だと感じられたのでしょう。
そして無職へ
私は不注意優先型のADHDであったので、要領も悪く、授業の準備などもギリギリ。登校時間もギリギリ。やらなければならない仕事もギリギリ。
このような仕事の出来なさから"怠けている"、"努力していない"、"やる気がない"、"仕事ができない"というレッテルを貼られてしまいました。
職員室内での無視や理不尽に怒られることが多くなり、精神を病み、仕事が出来なくなりました。
ある日校長室に呼ばれた私は、当時の校長先生に「契約が切れたら辞めてもらうし、どこの学校にも貴方を推薦することができない」と言われました。
その言葉通り、どの学校にも雇ってもらえなくなり、私は無職に。
ADHDの治療に踏み切る
流石にこのままでは不味いと考えた私は本格的にADHDを疑い、治療を決意しました。
普段通っていた心療内科から発達障害を専門としている精神科に転院。
その後、WAISと呼ばれるIQを測る検査を受け、今までのエピソードを語ったところ、やはりというべきかIQの偏りがかなり激しく、ADHD(注意欠陥多動性障害)と診断を受けました。
病状に振り回される人生
今までの人生を振り返ってみると、ADHDの症状に振り回された人生であったと思います。
時間の管理ができない(遅刻癖)
物事の優先順位がつけられない(後回し癖)
衝動的な行動
衝動性からくる癇癪
不注意によるケアレスミス
大人になってからも相変わらず衝動性が強く散財したり、癇癪を起したりしておりました。
二次障害の併発
私は発達障害であるADHDの二次障害も併発していることがわかりました。
その時は双極性障害と診断されました。
恐らくですが、生まれたときから私はADHDの症状が重かったので、毎日のように様々な問題を起こし、親、教師、親しかった友人や恋人、そして社会全体の私の評価が常に低く、大人になるにつれてどんどん自信を失っていったことに起因するのかもしれません。
実を言うと、上記の原因とは別に、病気になってしまった理由はもう一つあるのです。
親友との別れ
私は20歳の時に当時唯一の親友を亡くしました。事故だった…と思います。
彼は統合失調症でした。
極度のネグレクトからくる愛着障害もあり、酷い鬱症状に陥っていました。母親からの最後の連絡が、「勝手にしろ」だったそうです。
恐らく自暴自棄になってしまったのでしょう。過剰に精神薬を飲んでしまい、成人式を迎える前に亡くなってしまいました。
親友が死んでしまった。
無意識に病状が悪くなった彼を避けてしまっていた自分への怒りと、彼ともう会うことも話すこともできないという悲しさ、死ということへの恐怖、なにもできなかったやるせなさを感じ、人生の意味や意義を問う毎日を送りました。
周りの同級生達の楽しそうな話、未来への希望を疑わない同級生たちの笑顔。私には、どうしても許せなかった。
「俺の親友は死んでしまったのに、何故お前らは笑えるんだ?」
大学を休学しました。
奨学金が止まり、除籍にもなりました。心療内科に行くと不安障害と不眠症と言われました。
人間失格?
私は荒れました。
処方薬を飲みながら酒を煽る毎日。そんな日々を繰り返しているうちに精神が狂ってしまったようです。
処方薬とお酒との相性は最悪でした。アルコールの効果を倍増させてしまい、無理やりテンションをあげるからであるそうです。
後で色々と話を聞くと、その組み合わせは双極性障害になりやすいらしいです。
躁状態時は謎の万能感がありなんでもできると過信し、逸脱した行為をしてしまう。
躁と鬱を繰り返し、大学を2回留年、なんとか大学を卒業して一度社会に出ましたが、そこでも私は上記の通りダメでした。
双極性障害から重度の鬱に診断が変わり、薬が増え続ける。
兎も角もう、何もできない。
家族からも見放され、生活保護を受け、棺桶の様なアパートで生きているのか死んでいるのか分からない生活。
友人や恋人といった人間関係も破綻し、人間失格…気が付けば、私は動けなくなり、廃人のようになっていました。
治療後のワタシ
現在はADHDの治療薬であるコンサータを服薬しています。
効果は覿面(てきめん)で、衝動性がかなり落ち着き、癇癪などを起こさずに穏やかに生活しています。
しかし、時間の管理や後回し癖などには効いていないようで、相変わらず社会生活を営むのは難しいと医者に言われています。
二次障害である重度の鬱病のせいもあり、外に出ることも難しく、働くことも困難な状態でありますが、治療前よりは明らかに落ち着いた生活を送っていると思います。
発達障害は治らない
しかし、認知行動療法などで時間の管理や後回し癖となんとかうまく付き合えればいいと思っていますし、薬物療法では衝動性が抑えられ、以前よりかなり情緒は安定しています。
ゆっくり一歩つづ、社会復帰を目指していければいい。今はそう思っています。
ADHDで学んだこと
これを読んでADHDだと疑っているがまだ診断を受けていない人は、早期の検査をおすすめします。
ADHDなどの発達障害はその性質から、二次障害を引き起こしやすいからです。二次障害を起こしてしまうと社会生活はかなり困難になるかもしれません。
でも、私は生きています。
ADHDと診断された人は希望を捨てずに一緒に生きましょう。二次障害を併発してしまった人も。
私も希望を捨てずに、焦らず、ゆっくりとこの障害と付き合って生きていこうと思っています。
病みサーで当事者とお話ししよう!
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