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左手と会話するようになった日①


プロローグ

文系出身のシステムエンジニア。プログラミングには何とか慣れても、本当にこの仕事が自分に合っているのか、確信が持てないまま3年が過ぎていた。

「えっと、この機能はですね...」

私は画面の前で言葉を詰まらせていた。コードレビューでの指摘には何とか対応できるようになってきたが、自分が作った機能を人に説明するのは、まだまだ苦手だった。毎日の仕事をこなすことはできるようになってきたが、この先ずっとエンジニアとしてやっていく自信は持てないでいた。


第一章:右手の悲鳴と左手の目覚め

■右手の違和感

最初は気にも留めなかった。終業後の手首の違和感。徐々に朝まで尾を引くようになり、マウスを持つ手に力が入らない時もでてきた。「若いんだから大丈夫だろう」と放っておいた私が重い腰を上げたのは、エクセルのセルをコピーしようとして、マウスから手が滑り落ちた時だった。

整形外科での診察結果は腱鞘炎。「このまま放置すると悪化する可能性が高い。2ヶ月は極力使わないように」と医師に告げられた。今まで当たり前のように使っていた右手が使えなくなるなんて、考えただけで不安になった。

■在宅勤務の決断

会社に報告すると、案の定という表情を浮かべた上司が、難しい顔で言った。

「2ヶ月も休まれるのは、正直きついんだよね...」

締め切りの迫った案件を抱えているチームの現状を考えると、長期離脱は避けたかった。

「左手でマウス操作を練習します。なんとか...」

そう申し出ると、上司は安堵の表情を浮かべた。在宅勤務と、極力右手を使わない配慮で、なんとか合意にこぎつけた。その時は気づかなかったが、この決断が私の人生を大きく変えることになる。

■左手との出会い

そして迎えた在宅勤務初日。左手でマウスを動かそうとするも、まるで氷の上を滑るように制御が効かない。案件の締め切りは迫っているのに、まともにウィンドウの操作もできない。

「うまく使えないでしょう?なぜだかわかる?」

突然聞こえた声に、私は思わずマウスを取り落としそうになった。辺りを見回しても誰もいない。

「あなた、急いでばかりだから。私の感覚をちゃんと理解しようとしてないのよ」

声は、私の左手から聞こえていた。これが、私と左手との最初の会話となった。


第二章:戸惑いの中で芽生える可能性

■戸惑いの日々

私は心療内科に行くべきだろうか。それとも、もう少し睡眠を取るべきか。左手が話しかけてきた衝撃で、その夜はほとんど眠れなかった。

「また考え込んでるわね」

左手が優しく声をかけてくる。最初の日から、彼女は私の心の動きを見透かしたように話しかけてきた。

やはり、ストレス性の幻聴などではなく現実なんだ、、、。

会社のオンラインミーティング中、思わず左手と相談を始めそうになり、慌ててマイクをミュートにしたこともある。独り言を言っているように見せながら会話するコツも、少しずつ掴めてきた。

■左手の想い

「私だって、右手と形も同じだし、これでもずいぶん我慢したのよ」

ある日、左手が静かに語り始めた。マウス操作の練習中、また同じ失敗を繰り返した時だった。

「でも、いつも『補助』役。パソコンだってキーボードの左側しか打てないの。仕方ないって諦めてた時期もあったけど...」

その声には、長年の不満と寂しさが滲んでいた。確かに、今まで私は左手の存在を意識したことすらなかった。エプロンの紐を結ぶ時も、荷物を持つ時も、いつも脇役で当たり前だと思っていた。

■練習の始まり

「そう、その感じよ。力を抜いて...」

左手が教えてくれるように、マウスに自然と添えるだけ。最初は氷の上を滑るように不安定だった動きが、少しずつ安定してきた。

「私なりのやり方があるの。右手のマネをする必要なんてないわ」

それは、右手とは全く違う動かし方だった。しなやかで、でも芯のある動き。まるでダンスのように、画面上のカーソルが滑らかに動いていく。

■新しい発見

「あら、気づいた?」

ある日、左手が嬉しそうに言った。気がつけば、私は右手でメモを取りながら、左手でマウスを操作していた。今までは考えられなかった動作の組み合わせが、自然とできるようになっていた。

「ほら、私たちにも、素敵な可能性があるのよ」

左手は優しく、でも誇らしげに語る。確かに、これは単なる代用品としての左手の使い方ではない。新しい何かが、少しずつ芽生え始めていた。


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