彷徨いにとらわれている
「彷徨い」と云う作品を知っているだろか
今から1年前に投稿された花譜という少女が歌唱するミュージックビデオで、僕はこの花譜という少女の彼女のファンだ
そして彼女の歌う「彷徨い」という作品は僕が最も愛する彼女の歌だ
今回のnoteではこの「彷徨い」と僕の想いについて語っていきたいと思う
しかしながら僕はこの歌を愛するあまり「理解する」ということを怠ってきた。1年を経てこの心に決心がついてこのnoteを書いているのだ
少々解像度が低いがなぜ僕がこんなにも「彷徨い」に対してこんなにも感情的になっているのかというと、僕が彼女を観測した日まで遡る。
僕が彼女を観測した日
2019年2月中旬。ふとLINEのみんなのプロフィール文を眺めていると、変わったピンク髪のキャラクターのアイコンと「花譜尊い」という一文。
当時VTuber好きという共通点で仲良くなった友達で四天王やにじさんじの話題で盛り上がっていた。
そんな彼がどうやら新しい推しをみつけたのだなと思い、花譜の不思議な瞳に誘われて彼に質問していた
【花譜ってだれ?】
彼は「Count0」で彼女を観測したようだ。もともとHIMEHINA目的で見ていたようで、突然聴こえてきた彼女の歌声に魅了されてしまったようだ
今では花譜から離れてしまった彼だが今でも彼女の「少女レイ」をよく聴いている
さて僕の話に戻すが、花譜を観測した僕は彼女の歌をたくさん聴き始めた。
「糸」「Lemon」「またねがあれば」「魔女」「五月雨」「フラジール」「心臓と絡繰」「回る空うさぎ」「さよならミッドナイト」そして「忘れてしまえ」
2月中旬。彼女の動画投稿は当時 受験の関係で止まってしまっていた。そう私が彼女を観測したとき彼女はいなかったのだ
しかし私は彼女の歌を聴いて魅了されていた。いや、友達に【花譜って誰?】と聞いた時から魅了されてしまっていたのかもしれない
3月20日 花譜のyoutubeチャンネルにある動画が投稿される
僕はこの時、本当の意味で彼女を観測した
「おかえり。そして初めまして」
僕はこの言葉だけを胸に3月22日を迎えた
そこで聴いた初めましての声は、僕を「花譜」の沼に落としていった。
この「雛鳥」という曲。「彷徨い」を語るうえで切っても切り離せない存在である。これは花譜の最初の曲であり、この時の彼女自身そのものなのだ。彼女が身にまとう衣もまた雛鳥だ。
その三原色の瞳には「何にでもなれる可能性」と「全てを飲み込む魅力」が詰め込まれている。
雛鳥の最初の歌詞
あなたの温もりを覚えている。
それは初めましての彼女の一言で、決して僕自身に向けられた言葉ではないけれど、この歌詞を聴いた瞬間僕の頭の中で何かがゆれた。
涙が出たわけではないが確かにこの時僕の心はうごいたのだ。
14歳の少女に僕の心は動かされたのだ。そして僕はこの時「この子を好きでいること」を確信した。
そして時が流れ
2020年10月10日
花譜2ndONE-MAN LIVE不可解弐Q1
ここで問題の「彷徨い」が公開された。
初めて彷徨いを聴いた時
まず目に入ってきたのは《イラストレーター依》のその淡く浮き出てきたような画。彼女のことは少し前から彼女自身が描く画に魅かれ知っていたが、まさかこんな形で彼女の画を見ることになるとは思いもしなかった。
そして花譜の声が聴こえてくる。
その時の記憶は今はもう思い出せない。しかし僕は感動して涙を流した。それは紛れもない事実だ。
一度ではわからない重く深い感情。それを僕は無防備な心で受けてしまったのだ。
何度も聴いた彷徨い
ライブが終わりアーカイブを視聴した。彷徨いのシーンはそれは数え切れないほど見返した。しかし僕はこの「彷徨い」という作品を理解する事ができなかったのだ。
間違いなく今まで聴いてきた音楽の中で一番といっていいほど感動しているのに、全く理解することができないのだ。何かを理解しようとするたび感情の洪水が起き、僕に涙だけを流させていく。
これほどまでにしてこの作品に苦しまされるとは思わなかった。
石井龍のnoteで
まずこのnoteを見てほしい
これは不可解弐の後に公開されたnoteで、彷徨いのMVを制作した《イラストレーター依》を今回支えてくれた人の一人である石井龍が書いている。
そこで語られていたのは彷徨いという作品ができるまでの苦悩や葛藤、妥協と希望の数々だった。
僕はこのnoteを通してまた一つ理解できなくなった。
ここまでくるといっそ清々しい気分だった。この感情は大きすぎるのだと、理解できないものなんだと僕にわからせてくれたのだ。
2020年10月18日
彷徨い MV公開
花譜が初の動画投稿をしたのが2018年10月18日。つまり花譜二周年の日に公開されたのだ。
僕はこのMVを何度も見ようと思っていた。しかしこの「彷徨い」という作品をすべて見たのは先日までたったの4回だったのだ。
あまりにも美しすぎて聴いていられず途中で切ってしまうということが多々あった。中途半端な気持ちや調子では聴いてはいけない。それほどまでに複雑化した僕の「彷徨い」に対する想いは肥大化していき、いつしかある意味一種の偶像崇拝のようになっていた。
この現象は過去にもおこっている。それは「命に嫌われている(Prayer Ver.)」だ。もしかすると僕と同じ気持ちになったことがある観測者は少なくないのではないかと思う
そう、この二つの共通点としてあげたいことがある。それは「花譜ともう一人のクリエイターの存在」だ。命に嫌われているではカンザキイオリの代表作の一つであり、一部の観測者の中ではこの歌ってみたを待っていた人も多くいただろう。僕もそのひとりだ。
花譜という主題の元 作り上げられてきた物語は「歌」という原点を通って、カンザキイオリというひとつの終点と結びついた。そこを結ぶ線が今までで一番色濃く出たのが「命に嫌われている」の歌ってみただったのだ。
「彷徨い」では花譜が作り上げた物語をくみ取ったMVは《イラストレーター依》の手によって表現された。またそこで一つ終点にたどり着いた。たどり着いてしまったのだ。
花譜の歌《イラストレーター依》の表現とカンザキイオリの詞が絡み合い、感情となった。
ただそれだけでこの歪な感情を抱えているのだ。
まとめとして
最後に結局僕「闇鍋の汁」にとって「彷徨い」という作品はどういうものだったのかというと、花譜を知った時から聴いていた音楽ということである。
ここまで花譜という圧倒的リアルタイム性のあるコンテンツにおいて、活動を続ける中での出会い。音によってつづられる物語が今もこうして動いている。そういう一つ一つが僕というリアリティショウにおいて感動を与えてくれた作品だった。
余談
今回のnote実は「彷徨い」の考察noteとして出す予定でしたが、思ったよりここまでが長くなってしまったので今度書きます。
そして花譜3周年おめでとう。僕は君が大好きだ。
以上。お付き合い感謝っす。闇鍋の汁でした。